・・・人間の役者の扮した松王丸の中には、どうしても、その役者が隠れていて、しかも大いにのさばっているために、われわれは浄瑠璃の松王丸を見るかわりに俳優何某の松王丸しか見ることができないのであるが、この人形の松王丸となると、それが正真正銘の浄瑠璃の・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・ 浄瑠璃と草双紙とに最初の文学的熱情を誘い出されたわれわれには、曲輪外のさびしい町と田圃の景色とが、いかに豊富なる魅力を示したであろう。 その頃、見返柳の立っていた大門外の堤に佇立んで、東の方を見渡すと、地方今戸町の低い人家の屋根を・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・中西屋の店先にはその頃武蔵屋から発行した近松の浄瑠璃、西鶴の好色本が並べられてあったが、これも表紙を見ただけで買いはしなかった。わたくしが十六、七の時の読書の趣味は極めて低いものであった。 四カ月ほど小田原の病院にいる間読んだものは、ま・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・ 小春治兵衛の情事を語るに最も適したものは大阪の浄瑠璃である。浦里時次郎の艶事を伝うるに最適したものは江戸の浄瑠璃である。マスカニの歌劇は必伊太利亜語を以て為されなければなるまい。 然らば当今の女子、その身には窓掛に見るような染模様・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・ 端唄が現す恋の苦労や浮世のあじきなさも、または浄瑠璃が歌う義理人情のわずらわしさをもまだ経験しない幸福な富裕な町家の娘、我儘で勝気でしかも優しい町家の娘の姿をば自分は長唄の三味線の音につれてありありと空想中に描き出した。そして八月の炎・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・試に西鶴の『五人女』と近松の世話浄瑠璃とを比較せよ。西鶴は市井の風聞を記録するに過ぎない。然るに近松は空想の力を仮りて人物を活躍させている。一は記事に過ぎないが一は渾然たる創作である。ここに附記していう。岡鬼太郎君は近松の真価は世話物ではな・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・清元浄瑠璃の文句にまた一しきり降る雨に仲を結ぶの神鳴や互にいだき大川の深き契ぞかわしけるとは、その名も夕立と皆人の知るところ。常磐津浄瑠璃に二代目治助が作とやら鉢の木を夕立の雨やどりにもじりたるものありと知れど未その曲をきく折なきを憾みとせ・・・ 永井荷風 「夕立」
・・・と思うと、わけもなく二番目狂言に出て来る人物になったような心持になる。浄瑠璃を聞くような軟い情味が胸一ぱいに湧いて来て、二人とも言合したようにそのまま立留って、見る見る暗くなって行く川の流を眺めた。突然耳元ちかく女の声がしたので、その方を見・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・歌舞伎小唄浄瑠璃抔の淫たることを見聴べからず。宮寺抔都て人の多く集る所へ四十歳より内は余り行べからず。 婦人が内を治めて家事に心を用い、織縫績緝怠る可らずとは至極の教訓にして、如何にも婦人に至当の務なり。西洋の婦人には動もすれば・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・唯願うらくはかの如来大慈大悲我が小願の中に於て大神力を現じ給い妄言綺語の淤泥を化して光明顕色の浄瑠璃となし、浮華の中より清浄の青蓮華を開かしめ給わんことを。至心欲願、南無仏南無仏南無仏。 爾の時に疾翔大力、爾迦夷に告げて曰く、諦に聴け諦・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
出典:青空文庫