・・・現在の東京の子供なら静岡か浜松か軽井沢へでも行っていたのと相当する訳である。交通速度の標準が変ると距離の尺度と時間の尺度とがまるきり喰いちがってしまうのである。 その頃にもよく浜で溺死者があった。当時の政客で○○○議長もしたことのあるK・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・そうして東京、横浜、沼津、静岡、浜松、名古屋、大阪、神戸、岡山、広島から福岡へんまで一度に襲われたら、その時はいったいわが日本の国はどういうことになるであろう。そういうことがないとは何人も保証できない。宝永安政の昔ならば各地の被害は各地それ・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・漁舟江心に向かいてこぎ出せば欸乃風に漂うて白砂の上に黒き鳥の群れ居るなどは『十六夜日記』そのままなり。浜松にては下りる人乗る人共に多く窮屈さ更に甚だしくなりぬ。掛川と云えば佐夜の中山はと見廻せど僅かに九歳の冬此処を過ぎしなればあたりの景色さ・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・江戸参勤中で遠江国浜松まで帰ったが、訃音を聞いて引き返した。光貞はのち名を光尚と改めた。二男鶴千代は小さいときから立田山の泰勝寺にやってある。京都妙心寺出身の大淵和尚の弟子になって宗玄といっている。三男松之助は細川家に旧縁のある長岡氏に養わ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・あれは天正十一年に浜松を逐電した時二十三歳であったから、今年は四十七になっておる。太い奴、ようも朝鮮人になりすましおった。あれは佐橋甚五郎じゃぞ」 一座は互いに目を合わせたが、今度はしばらくの間誰一人ことばを出すものがなかった。本多は何・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
出典:青空文庫