・・・ 旅団長も何か浮き浮きしていた。「つまり奸佞邪智なのじゃね。」「そうです。煮ても焼いても食えないのです。」 こんな会話が続いている内、旅団参謀はまだ通訳と、二人の支那人を検べていた。それが急に田口一等卒へ、機嫌の悪い顔を向け・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ところがそれに釣りこまれたのか、自分たちの声が一しきり高くなると、丹波先生もいつか浮き浮きした声を出して、運動帽を指の先でまわしながら、「それよりかさ、あの帽子が古物だぜ――」と、思わず口へ出して云いかけた、丁度その時である。機械体操場・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・おのずから浮き浮きしてきた。目下の満足が楽しく、遠い先の考えなどは無意識に腹の隅へ片寄せて置かれる事になった。 これが省作おとよの二人ばかりであったらば、こうはゆかなかったかもしれない。そこにお千代という、はさまりものがあって、一方には・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・しかし僕は三味線の浮き浮きした音色を嫌いでないから、かえって面白いところだと気に入った。 僕の占領した室は二階で、二階はこの一室よりほかになかった。隣りの料理屋の地面から、丈の高いいちじくが繁り立って、僕の二階の家根を上までも越している・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・『ただその時は健康が思わしくないからあまり浮き浮きしないで物思いに沈んでいたに違いない。絶えず甲板の上に出で将来の夢を描いてはこの世における人の身の上のことなどを思いつづけていたことだけは記憶している。もちろん若いものの癖でそれも不思議・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・、背広で行くダンス・ホール、ピクニック、――そうした場所で女友を拾い、女性の香気を僅かにすすって、深入りしようとも、結婚しようともせず、春の日を浮き浮きとスマートに過ごそうとするような青年学生、これは最もたのもしからぬ風景である。彼らが浮き・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・私には旅行がめずらしかったものですから、それで少し浮き浮きしていたというところもあったのでしょう。あわれな話ですね。若い花やかなインスピレエションが欲しさに、私は大しくじりを致しました。最初の晩、ごはんのお給仕に出た女中は二十七八歳の、足を・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ けれども、さすがに内心は、浮き浮きしていたのである。老母や妻のおどろき、よろこびもさる事ながら、長女も、もの心地がついてから、はじめてわが家のラジオが歌いはじめるのを聞いてその興奮、お得意、また、坊やの眼をぱちくりさせながらの不審顔、・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・ けさから五月、そう思うと、なんだか少し浮き浮きして来た。やっぱり嬉しい。もう夏も近いと思う。庭に出ると苺の花が目にとまる。お父さんの死んだという事実が、不思議になる。死んで、いなくなる、ということは、理解できにくいことだ。腑に落ちない・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・もとより、僕にとっては、市場に山ほどの品物が積まれてあっても、それを購買する能力は無く、ただ見て通るだけなのですが、それでも何だか浮き浮きした気持ちになり、また、時たま友人たちと、屋台ののれんに首を突込み、焼鳥の串をかじり、焼酎を飲み、大声・・・ 太宰治 「女類」
出典:青空文庫