・・・青年が近寄るなと思うとクララはもう上気して軽い瞑眩に襲われた。胸の皮膚は擽られ、肉はしまり、血は心臓から早く強く押出された。胸から下の肢体は感触を失ったかと思うほどこわばって、その存在を思う事にすら、消え入るばかりの羞恥を覚えた。毛の根は汗・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・けれどもあんまり浮気をしちゃいけなくってよ。瀬古さん……あなた若様ね。きさくで親切で、顔つきだっていちばん上品できれいだし、お友達にはうってつけな方ね。でもあなた、きっと日本なんかいやだって外国にでも行っちまうんでしょう。おだいじにお暮らし・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・ただ不思議なのは、さばかりの容色で、その年まで、いまだ浮気、あらわに言えば、旦那があったうわさを聞かぬ。ほかは知らない、あのすなおな細い鼻と、口許がうそを言わぬ。――お誓さんは処女だろう……――これは小県銑吉の言うところである。 十六か・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・生際少しあがりて、髪はやや薄けれども、色白くして口許緊り、上気性と見えて唇あれたり。ほの赤き瞼の重げに見ゆるが、泣はらしたるとは風情異り、たとえば炬燵に居眠りたるが、うっとりと覚めしもののごとく涼しき眼の中曇を帯びて、見るに俤晴やかならず、・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・鼻筋のすっと通ったを、横に掠めて後毛をさらりと掛けつつ、ものうげに払いもせず……切の長い、睫の濃いのを伏目になって、上気して乾くらしい唇に、吹矢の筒を、ちょいと含んで、片手で持添えた雪のような肱を搦む、唐縮緬の筒袖のへりを取った、継合わせも・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ならないのがあたりまえである。浮気の恋ならば知らぬこと、真底から思いあった間柄が理屈で諦められるはずがない。たやすく諦めるくらいならば恋ではない。 おとよは意志の強い人だ。強い意志でわが思いを抑えている。いくら抑えてもただ抑えているとい・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・「東京へ帰ると、すぐまた浮気をするんだろう?」「馬鹿ア言え。お前のために、随分腹を痛めていらア」「もッと痛めてやる、わ」吉弥は僕の肩さきを力一杯につねった。 妻のところへ帰ると、僕のつく息が夕方よりも一層酒くさいため、また新・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・唯、文学論としてよりは小生一個の希望――文学に対する註文を有体に云うと、今日の享楽主義又は耽美主義の底には、沈痛なる人生の叫びを蔵しているのを認めないではないが、何処かに浮気な態度があって昔の硯友社や根岸党と同一気脈を伝うるのを慊らず思って・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・配だろうよ、何しろ自分は始終留守で、若い女房を独り置いとくのだから……なあお光、お前にしたって何だろう、亭主は年中家にいず、それで月々仕送りは来て、毎日遊んで食って寝るのが為事としたら、ちょいとこう、浮気の一つも稼いで見る気にならねえもので・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・の店をひらいたのは二十五の歳だったが、旦那が半年で死んでしまうと、酒のあとで必ず男のほしくなる体を浮気の機会あるたびに濡らしはじめ、淫蕩的な女となった。何を思ったのか私を掴えても「わては大抵の職業の男と関係はあったが文士だけは知らん」と、意・・・ 織田作之助 「世相」
出典:青空文庫