・・・四迷が「浮雲」を書いたのは明治二十年のことで、二十七歳の坪内逍遙先生が「小説神髄」をあらわし、「当世書生気質」を発表して「恰も鬼ケ島の宝物を満載して帰る桃太郎の船」のように世間から歓迎された二年後のことであった。三つ年下だった二葉亭はその頃・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・西村茂樹は明治二十年、二葉亭の「浮雲」の出た年に「日本道徳論」を著している。二十八年に「徳学講義」を著し、例えば同じころ「希臘二賢の語に就て」を書いたりしていた津田真道やその頃大いに活動していた中江兆民などとは、人生の見かたの方向に於ては対・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・二葉亭四迷は明治二十年に小説「浮雲」を書いて、当時硯友社派の戯作者気質のつよい日本文学に、驚異をもたらした人であった。硯友社の文学はその頃でも「洋装をした元禄小説」と評されていたのだが、そういう戯文的小説のなかへ、二葉亭四迷はロシア文学の影・・・ 宮本百合子 「生活者としての成長」
・・・ 二年後の明治二十年に、二葉亭四迷の小説「浮雲」があらわれ、日本文学ではじめての個性描写、心理描写が試みられたのであった。この小説が当時の知識人に与えた衝撃は深刻且つ人生的なもので、己を知るに賢明であった逍遙が人及び芸術家としての自分を・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
出典:青空文庫