・・・また一つ忘れてならぬ事はこれらの微小な残余の項が多くはいわゆる偶然の方則に従って分布され、プラスとマイナスとが相消去するために結果が蓄積せぬ事である。一定の位置並びに寒暖計の示す温度において測った金属棒の長さは、不可測的の雑多な微細な原因の・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・気味悪い狐の事は、下女はじめ一家中の空想から消去って、夜晩く行く人の足音に、消魂しく吠え出す飼犬の声もなく、木枯の風が庭の大樹をゆする響に、伝通院の鐘の音はかすれて遠く聞える。しめやかなランプの光の下に、私は母と乳母とを相手に、暖い炬燵にあ・・・ 永井荷風 「狐」
・・・雪の夜の名残は消えやすい雪のきえると共に、痕もなく消去ってしまったのである。巷に雨のふるやうにわが心にも雨のふるという名高いヴェルレーヌの詩に傚って、もしもわたくしがその国の言葉の操り方を知っていたなら、巷に雪の・・・ 永井荷風 「雪の日」
私とじいやとは買物に家を出た。寒い風が電線をぴゅうぴゅうと云わせて居る。厚い肩掛に頸をうずめてむく鳥のような形をしてかわいた道をまっすぐにどこまでも歩いて行く。〔九字分消去〕ずつ買った。又もと来た道を又もどると一軒の足袋屋・・・ 宮本百合子 「大きい足袋」
出典:青空文庫