・・・と怒鳴られたので、原稿投函上の迷信は一時に消失してしまった。蓋し自分が絶対の信用を捧ぐる先生の一喝は、この場合なお観音力の現前せるに外ならぬのである。これによって僕は宗教の感化力がその教義のいかんよりも、布教者の人格いかんに関することの多い・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・けれども、すこしずつ大きくなるにつれて、だいいち私が自身いやらしくなって、私の特権はいつの間にか消失して、あかはだか、醜い醜い。ちっとも、ひとに甘えることができなくなって、考えこんでばかりいて、くるしいことばかり多くなった。お姉さんは、お嫁・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・はさらにいっそう人間の女になれるはずがない。それだからさらにいっそうこれらの特徴を強調する。その不自然な強調によって「個々の女」は消失する代わりに「抽象された女それ自体」が出現するであろう。 この抽象と強調とアクセンチュエーションは、人・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・驚いて目をみはってよく見直してもやっぱりこの紫色のかげろいは消失しない。どうしても客観的な色彩としか思われないのであった。 この二つの錯覚の場合は映画の写像の、客観的には不安全な写実能力が、いかに多く観客の頭の中に誘発される連想の補足作・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・これは適者生存自然淘汰の原理によって、元来寒暖計などあるまじき原始人の風呂場にあった寒暖計が、当然に自然に消失したものであろう。 チャムバーレンという人が云った皮肉な詞に「日本人に独自なものは風呂桶とポエトリーだけだ」というのがある。そ・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
・・・学者の仕事は決して一日に成るものでなく、それを発表した日で消失するものでもないのであるが、新聞ニュースとしては一日過ぎれば価値はなくなる。しかも記者が始めて聞き込んだその日を一日過ぎるとニュースでなくなるのである。それで、誤ってジャーナリス・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・颱風もなければ烈震もない西欧の文明を継承することによって、同時に颱風も地震も消失するかのような錯覚に捕われたのではないかと思われるくらいに綺麗に颱風と地震に対する「相地術」を忘れてしまったのである。 ドイツの町を歩いていたとき、空洞煉瓦・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・このことが火災の損害に対する一般の無関心を説明する一つの要項であるには相違ないのであるが、しかしともかくも日本の国の富が年々二億円ずつ煙と灰になって消失しつつある事実を平気で見過ごすということは少なくも為政の要路に立つ人々の立場としてはあま・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・ 科学者が自然現象の週期を発見しようとして被与材料を統計的に調査する時に、ある短い期間については著しい週期を得るにかかわらず、あまり期間を長く採るとそれが消失するような事が往々ある。そのような場合に、短期の材料から得た週期が単に偶然的の・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・この氷河が消失して、従って新疆地方に灌漑する川々の水量が少なくなり、そのために土壌がかわき上がって今のような不毛の地になったらしい。この地方には高さ五百メートルほどのなまなましい断層の痕もあるそうである。こんな地変のために地盤が傾動すれば河・・・ 寺田寅彦 「ロプ・ノールその他」
出典:青空文庫