・・・真の尊敬というものは、お互いの近親感を消滅させて、遠い距離を置いて淋しく眺め合う事なのでしょうか。私は今は、生れてはじめて孤独です。「出エジプト記」を読むと、モーゼの努力の程が思いやられて、胸が一ぱいになります。神聖な民族でありながらも・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・そして電磁気や光に関する理論の多くの病竈はひとりでに綺麗に消滅した。 病源を見つけたのが第一のえらさで、それを手術した手際は第二のえらさでなければならない。 しかし病気はそれだけではなかった。第一の手術で「速度の相対性」を片付けると・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・頭の中の実在と眼前の実在とが矛盾するのを発見する瞬間に自分の頭に対する信用が一度に消滅するのである。皮肉なことには地図にないような道路は最近に出来た最も立派なモーターロードなのである。 東京附近の自動車道路の詳細な地図はないかと思ってこ・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・これはむつかしい問題ではあるが、そういう区別があるとしないとある種の未来派の絵などの存在理由は消滅しそうに思われる。 色彩を取り去ったあとの浮世絵の中に見いだされる美の要素がいかなるものであるかを考えるのは、結局前にあげた問題の答案を求・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・言葉をなくすれば思惟がなくなると同時にあらゆる文学は消滅する。逆に、言葉で現わされたすべてのものがそれ自身に文学であるとは限らないまでも、そういうもので文学の中に資料として取り入れられ得ないものは一つもない。子供の片言でも、商品の広告文でも・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・そうすれば学位に対する世間の迷信も自然に消滅すると同時に学位というものの本当の価値が却って正常に認識されるであろうと思われる。 大学でも卒業した人間なら取ろうと思えばおそらく誰でも取れる学位である。取るまでの辛抱をつづけるかつづけないか・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・自分がそもそも最初に深川の方面へ出掛けて行ったのもやはりこの汐留の石橋の下から出発する小な石油の蒸汽船に乗ったのであるが、それすら今では既に既に消滅してしまった時代の逸話となった。 銀座と銀座の界隈とはこれから先も一日一日と変って行くで・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・むかしからの伝説は全く消滅して残る処は一ツもない。 今戸橋をわたると広い道路は二筋に分れ、一ツは吉野橋をわたって南千住に通じ、一ツは白鬚橋の袂に通じているが、ここに瓦斯タンクが立っていて散歩の興味はますますなくなるが、むかしは神明神社の・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・おったくらいだから、江戸には漱石といって仙人ではないが、まあ仙人に近い人間がいるそうだぐらいの評判で持ち切って下されば私もはなはだ満足の至りであったろうが、今日汽車電話の世の中ではすでに仙人そのものが消滅したから、仙人に近い人間の価値も自然・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・一 女子が如何に教育せられて如何に書を読み如何に博学多才なるも、其気品高からずして仮初にも鄙陋不品行の風あらんには、淑女の本領は既に消滅したりと言う可し。我輩が茲に鄙陋不品行の風と記したるは、必ずしも其人が実際に婬醜の罪を犯したる其罪を・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
出典:青空文庫