・・・クララは涙ぐましい、しめやかな心になってアグネスを見た。十四の少女は神のように眠りつづけていた。 部屋は静かだった。 ○ クララは父母や妹たちより少しおくれて、朝の礼拝に聖ルフィノ寺院に出かけて行った。在家の・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ 露西亜の現状に於て、外の事はともかく子供の教育上に於ては私は涙ぐましい気がする。大人はどんな苦しみをしても、その子供には不足を感ぜしめないようにし、国家が其の子供を養って行き、善と美とに対して、子供自身の裁断をまつように自由に教育する・・・ 小川未明 「人間性の深奥に立って」
・・・それは真に涙ぐましい程貴く、また真実なものであります。言を換えれば、これが民衆の生活であります。この民衆の生活の底には、真の力が宿っています。愛のために、正義のために感激する強い力が横わっています。 彼の都会に於て、虚栄の町に於て、もし・・・ 小川未明 「民衆芸術の精神」
・・・生活と、こうした華かな、クリスマスの仮面をつけて犢や七面鳥の料理で葡萄酒の杯を挙げている青年男女の生活――そしてまた明るさにも暗さにも徹しえない自分のような人間――自分は酔いが廻ってくるにしたがって、涙ぐましいような気持にさえなってきて、自・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・甲社の特種に鼻を明かされて乙社がこれに匹敵するだけの価値のある特種を捜すのに「涙ぐましい」努力を払うというのは当然である。うそか真かは保証できないが、ある国でこんなことがあった、すなわち「あったこと」のニュースが見つからない場合に、めんどう・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・ 私は何だか涙ぐましい気持になった。数ヶ月の間、私の声帯はほとんど運動する機会がなかった。また同様に鼓膜も、極めて微細な震動しかしなかった。空気――風――と光線とは誰の所有に属するかは、多分、典獄か検事局かに属するんだろう――知らなかっ・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・ 其だのに、何故、私は今、此の涙ぐましい心持に深く深くひたって行くのであろう。 不満なのか? そうではないと私は返事をするだろう。 淋しいのか?――淋しいのか我魂よ、 私は、一縷のかすかな白い煙が微風にもなびかず胸の裡を、静・・・ 宮本百合子 「樹蔭雑記」
・・・七 私は才能乏しくしてしかも善良なる人が、宿命として自分に押しつけられている自分の性質を、呪い苦しんでいるのに出逢うごとに、わけもなく涙ぐましい心持ちになります。ことに彼が沈黙と憂愁との内に静かにうなだれているのを見ると、じ・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫