・・・――つい二三日前の深更、鉄盗人が二三人学校の裏手へ舟を着けた。それを発見した夜警中の守衛は単身彼等を逮捕しようとした。ところが烈しい格闘の末、あべこべに海へ抛りこまれた。守衛は濡れ鼠になりながら、やっと岸へ這い上った。が、勿論盗人の舟はその・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・北海道の山の奥の夜は静かに深更へと深まっていた。大きな自然の姿が遠く彼の眼の前に拡がっていた。 有島武郎 「親子」
・・・――引手茶屋がはじめた鳥屋でないと、深更に聞く、鶏の声の嬉しいものでないことに、読者のお察しは、どうかと思う。 時に、あの唄は、どんな化ものが出るのだろう。鴾氏も、のちにお京さん――細君に聞いた。と、忘れたと云って教えなかった。「―・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 料理店の、あの亭主は、心優いもので、起居にいたわりつ、慰めつ、で、これも注意はしたらしいが、深更のしかも夏の夜の戸鎖浅ければ、伊達巻の跣足で忍んで出る隙は多かった。 生命の惜からぬ身には、操るまでの造作も要らぬ。小さな通船は、胸の・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・されば深更一縷の燈火をもお貞は恐れて吹消し去るなり。 渠はしかく活きながら暗中に葬り去られつ。良人を殺せし妻ながら、諸君請う恕せられよ。あえて日光をあびせてもてこの憐むべき貞婦を射殺すなかれ。しかれどもその姿をのみ見て面を見ざる、諸君は・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・――深更に無理を言ってお酌をしてもらうのさえ、間違っている処へ、こんな馬鹿な、無法な、没常識な、お願いと言っちゃあないけれど、頼むから、後生だから、お澄さん、姐さんの力で、私が居る……この朝だけ、その鷭撃を留めさしてはもらえないだろうか。…・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ されば夜となく、昼となく、笛、太鼓、鼓などの、舞囃子の音に和して、謡の声起り、深更時ならぬに琴、琵琶など響微に、金沢の寝耳に達する事あり。 一歳初夏の頃より、このあたりを徘徊せる、世にも忌わしき乞食僧あり、その何処より来りしやを知・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・「そうでしょう、僕もこんなに遅くなるつもりではなかったがな、いやどうも深更に驚かして済まないなア……」「まアあがり給え」 そういって岡村は洋燈を手に持ったなり、あがりはなの座敷から、直ぐ隣の茶の間と云ったような狭い座敷へ予を案内・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・舗道をあるくルンペンの靴音によって深更のパリの裏町のさびしさが描かれたり、林間の沼のみぎわに鳴く蛙や虫の声が悲劇のあとのしじまを記載するような例がそれである。 このような音のモンタージュは俳諧には普通である。有名な「古池やかわず飛び込む・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・前夜の酒宴、深更に及びて、今朝の眠り、八時を過ぎ、床の内より子供を呼び起こして学校に行くを促すも、子供はその深切に感ずることなかるべし。妓楼酒店の帰りにいささかの土産を携えて子供を悦ばしめんとするも、子供はその至情に感ずるよりも、かえって土・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
出典:青空文庫