・・・ 大作 大作を傑作と混同するものは確かに鑑賞上の物質主義である。大作は手間賃の問題にすぎない。わたしはミケル・アンジェロの「最後の審判」の壁画よりも遥かに六十何歳かのレムブラントの自画像を愛している。 わたし・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・かならず、かれの小説と、混同すべからず、かれのあの、きめこまやかなる文章と。 シャルル・ルイ・フィリップの友に語った言葉のはしはし。かれ二十五歳。「昨日、僕はけだものの如くに泣いた。」「僕たちお互いが大作家になれるかどうか、それは、わか・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・とを混同することも免れない。そうして、その結果、色々面倒な葛藤の起ることも止むを得ないであろう。しかし、ともかくも、一度も科学者流にこういう風の考え方をしたことのない人もあるとしたら、そういう人にとっては、上記のような半面的な見方の可能だと・・・ 寺田寅彦 「学問の自由」
・・・車掌が豆腐屋のような角笛を吹いていたように思うが、それはガタ馬車の記憶が混同しているのかもしれない。実際はベルであったかもしれない。しかし角笛であったような気がするというわけはこの馬車の記憶に結びついて離れることのできない妙な連想があるから・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・それにしても日本の学者の論文が外国に紹介されるときに別人の仕事が同一人の仕事のように取扱われるような、よくある混同を避けるにはこういう新案もいいかもしれないのである。もう一歩進んで姓名の代りに囚人のように三一六五八九二四といったような番号を・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・元来この種の問題の論議は勢い抽象的に傾くが故に、外観上往々形而上的の空論と混同さるる虞あり。科学者にしてかくのごとき問題に容喙する者は、その本分を忘れて邪路に陥る者として非難さるる事あり。しかれども実際は科学者が科学の領域を踏み外す危険を防・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・無論私は作家自身の心のアスピレーションと作品の上に現れたそれとを混同していない積りである。努力だけを買うという意味ではないのである。「樹を描くにしても、画家自身がある度までその樹にならなくてはいけない。」こんな事をエマーソンに云った画家・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・モオリスは現代の装飾及工芸美術の堕落に対して常に、趣味 Got と贅沢 Luxe とを混同し、また美 Beaut と富貴 Richesse とを同一視せざらん事を説き、趣味を以て贅沢に代えよと叫んでいる。モオリスはその主義として芸術の専門的・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・しばらく視覚の意識と眼球の作用を混同して云うと、昔し分化作用の行われぬうちは視力は必ずしも眼球に集中しておらなかったろう。私も遠い昔では、からだ全体で物を見ていたかも知れぬ、あるいは背中で物を舐めていたかも知れぬ。眼耳鼻舌と分業が行われ出し・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・それを、普通の学者は単に文学と科学とを混同して、甲の国民に気に入るものはきっと乙の国民の賞讃を得るにきまっている、そうした必然性が含まれていると誤認してかかる。そこが間違っていると云わなければならない。たといこの矛盾を融和する事が不可能にし・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
出典:青空文庫