・・・そこには僕の気のせいか、質素な椅子やテエブルの間に何か清らかな幸福が漂っているように見えるのです。「あなたはどうもほかの河童よりもしあわせに暮らしているようですね?」「さあ、それはそうかもしれない。わたしは若い時は年よりだったし、年・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ここも紫檀の椅子机が、清らかに並べてありながら、冷たい埃の臭いがする、――やはり荒廃の気が鋪甎の上に、漂っているとでも言いそうなのです。しかし幸い出て来た主人は、病弱らしい顔はしていても、人がらの悪い人ではありません。いや、むしろその蒼白い・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・しかしその犬小屋の前には米粒ほどの小ささに、白い犬が一匹坐っているのです。清らかに、ほっそりと。――白はただ恍惚とこの犬の姿に見入りました。「あら、白は泣いているわよ。」 お嬢さんは白を抱きしめたまま、坊ちゃんの顔を見上げました。坊・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・待て、人の妻と逢曳を、と心付いて、首を低れると、再び真暗になった時、更に、しかし、身はまだ清らかであると、気を取直して改めて、青く燃ゆる服の飾を嬉しそうに見た。そして立花は伊勢は横幅の渾沌として広い国だと思った。宵の内通った山田から相の山、・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・燈火の陰に胸の色、雪のごとく清らかに、譲はちゅうちゅうと乳を吸って、片手で縋って泣いじゃくる。 あるじは、きちんと坐り直って、「どうしたの、酷く怯えたようだっけ。」「夢を見たかい、坊や、どうしたのだねえ。」 と頬に顔をかさぬ・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・沼の干たような、自然の丘を繞らした、清らかな境内は、坂道の暗さに似ず、つらつらと濡れつつ薄明い。 右斜めに、鉾形の杉の大樹の、森々と虚空に茂った中に社がある。――こっちから、もう謹慎の意を表する状に、ついた杖を地から挙げ、胸へ片手をつけ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ そのとき、二人の目には、水の清らかな、草の葉先がぬれて光る、しんとした、涼しい風の吹く川面の景色がありありとうかんだのであります。 ちょうど昼ごろでありました。弟が、外から、だれか友だちに、「海ぼたる」だといって、一匹の大きなほた・・・ 小川未明 「海ぼたる」
・・・ 自然にあっても、芸術にあっても、いつでもこうして、美しいものや、正しいものは、人間の魂を清らかにする。そればかりでなく、現実から、遠いところへ彼等を、誘って行くものだ。一茎の花に、それだけの力があったら、真の詩人の情熱から、感激から、・・・ 小川未明 「名もなき草」
・・・この清らかな水を飲むものは、けっして死なない。それは世にもまれな、すなわち不死の薬である。これをめしあがれば、けっして死ということはないと、天子さまに申しあげたのでありました。二「君! 金峰仙って、あの山かい。」といって・・・ 小川未明 「不死の薬」
・・・ コロコロ、コロコロ、彼の小さな希望は深夜の空気を清らかに顫わせた。 六 窓からの風景はいつの夜も渝らなかった。喬にはどの夜もみな一つに思える。 しかしある夜、喬は暗のなかの木に、一点の蒼白い光を見出した。い・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
出典:青空文庫