・・・小学校だからチーチーパッパで、ときどきはやかましいが、清澄なやかましさで、神経には一向にさわりません。カンカンとよく響いて鐘がなったりしてね。窓から見ていると、友達にトタン塀の隅っこへおしつけられた二年生ぐらいの男の子がベソをかいて、何か喋・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・けれども、この爽かさ、清澄さ! 空は荘厳な幅広い焔のようだ。重々しい、秒のすぐるのさえ感じられるような日盛りの熱と光との横溢の下で、樹々の緑葉の豊富な燦きかたと云ったら! どんな純粋な油絵具も、その緑玉色、金色は真似られない、実に燃ゆる自然・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・何かの拍子に、フト眼が、庭の一隅にある青桐の梢に牽かれ、何心なく眺めるうちに、胸まで透き徹る清澄な秋の空気に打たれたのだ。 平常私の坐っている場所から、樹は、丁度眼を遣るに程よい位置にある。去年の秋、引越して来てから文学に行きつまった時・・・ 宮本百合子 「透き徹る秋」
・・・秋の清澄な日ざしがその椽側に照り、障子が白く閉って居る。障子に小枝の影がある。微かに障子紙の匂いを感ずる―― 食べたいものの第一は支那料理の白菜羹汁だ。それからふろふき大根。湯豆腐。 特徴ある随筆の筆者斎藤茂吉氏は覊旅蕨という小品を・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・感覚的表徴は悟性によりて主観的制約を受けるが故に混濁的清澄を持つほど貴い。だが、官能的表徴は客観によりて主観的制約を受けるが故に清澄性故の直接清澄を持つほど貴重である。前者は立体的清澄を後者は平面的清澄を尊ぶ。新感覚が清少納言に比較して野蛮・・・ 横光利一 「新感覚論」
出典:青空文庫