・・・その廚の方には人の気勢だになきを、日の色白く、梁の黒き中に、渠ただ一人渋茶のみて、打憩ろうていたりけり。 その、もの静に、謹みたる状して俯向く、背のいと痩せたるが、取る年よりも長き月日の、旅のほど思わせつ。 よし、それとても朧気なが・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ 御柱を低く覗いて、映画か、芝居のまねきの旗の、手拭の汚れたように、渋茶と、藍と、あわれ鰒、小松魚ほどの元気もなく、棹によれよれに見えるのも、もの寂しい。 前へ立った漁夫の肩が、石段を一歩出て、後のが脚を上げ、真中の大魚の鰓が、端を・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 三年と五年の中にはめきめきと身上を仕出しまして、家は建て増します、座敷は拵えます、通庭の両方には入込でお客が一杯という勢、とうとう蔵の二戸前も拵えて、初はほんのもう屋台店で渋茶を汲出しておりましたのが俄分限。 七年目に一度顔を見せ・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・「まあ一服さっせえまし、和尚様とは親類づきあい、渋茶をいれて進ぜますで。」 とにかく、いい人に逢った。爺さんは、旧藩士ででもあんなさるかと聞くと、「孫八とこいて、いやはや、若い時から、やくざでがしての。縁は異なもの、はッはッはッ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 茶店の縁に腰を掛けて、渋茶を飲みながら評議をした。……春日野の新道一条、勿論不可い。湯の尾峠にかかる山越え、それも覚束ない。ただ道は最も奥で、山は就中深いが、栃木峠から中の河内は越せそうである。それには一週間ばかり以来、郵便物が通ずる・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・――渋茶なと進ぜよう。」「かさねまして、いずれ伺いますが、旅さきの事でございますし、それに御近所に参詣をしたい処もございますから。」「ああ、まだお娘御のように見えた、若い母さんに手を曳かれてお参りなさった、――あの、摩耶夫人の御寺へ・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・この霜夜に、出しがらの生温い渋茶一杯汲んだきりで、お夜食ともお飯とも言い出さぬ。座敷は立派で卓は紫檀だ。火鉢は大きい。が火の気はぽっちり。で、灰の白いのにしがみついて、何しろ暖かいものでお銚子をと云うと、板前で火を引いてしまいました、なんに・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 二 渋茶を喫しながら、四辺を見る。街道の景色、また格別でございまして、今は駅路の鈴の音こそ聞えませぬが、馬、車、処の人々、本願寺詣の行者の類、これに豆腐屋、魚屋、郵便配達などが交って往来引きも切らず、「早稲の香・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ こんなにも、清らかなものかと思う、お米の頸を差覗くようにしながら、盆に渋茶は出したが、火を置かぬ火鉢越しにかの机の上の提灯を視た。 信仰に頒布する、当山、本尊のお札を捧げた三宝を傍に、硯箱を控えて、硯の朱の方に筆を染めつつ、お・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ しかしわが貧乏国日本の忠実な少壮学者は貧乏な大学の研究所のために電池のわずかな費用を節約しつつ、たくあんをかじり、渋茶に咽喉を潤してそうして日本学界の名誉のために、また人間の知恵のために骨折り働いているのである。 ろうそくをはい上・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
出典:青空文庫