・・・家督は人の手に渡す。天道の光さえ、修理にはささぬかと思うような身の上じゃ。その修理が、今生の望にただ一度、出仕したいと云う、それをこばむような宇左衛門ではあるまい。宇左衛門なら、この修理を、あわれとこそ思え、憎いとは思わぬ筈じゃ。修理は、宇・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・ 神将 小町を渡すことはなおさらならぬ。 使 なおさらならぬ? あなたがたは一体何ものです? 神将 我々は天が下の陰陽師、安倍の晴明の加持により、小町を守護する三十番神じゃ。 使 三十番神! あなたがたはあの嘘つきを、――あ・・・ 芥川竜之介 「二人小町」
・・・佐藤の畑はとにかく秋耕をすましていたのに、それに隣った仁右衛門の畑は見渡す限りかまどがえしとみずひきとあかざととびつかとで茫々としていた。ひき残された大豆の殻が風に吹かれて瓢軽な音を立てていた。あちこちにひょろひょろと立った白樺はおおかた葉・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ と泣きそうに怒って追っかけたけれども、婆やがそれをお母さんの手に渡すまで婆やに追いつくことが出来なかった。僕は婆やが水をこぼさないでそれほど早く駈けられるとは思わなかった。 お母さんは婆やから茶碗を受取ると八っちゃんの口の所にもっ・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・、多人数立働く小僧中僧若衆たちに、気は配っても見ないふりで、くくり頤の福々しいのに、円々とした両肱の頬杖で、薄眠りをしている、一段高い帳場の前へ、わざと澄ました顔して、黙って金箱から、ずらりと掴出して渡すのが、掌が大きく、慈愛が余るから、…・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・と穴から渡すように、丼をのせるとともに、その炬燵へ、緋の襦袢むき出しの膝で、のめり込んだのは、絶えて久しい、お妻さん。……「――わかたなは、あんやたい――」若旦那は、ありがたいか、暖かな、あの屋台か、五音が乱れ、もう、よいよい染みて呂律・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・あちらに十銭、こちらに一円、うちで渡す物はどうするのか、方々からいつもその尻がうちへまわって来ます」「帰るものは帰るがええ、さ」そばから、お君がくやしそうに口を出した。「馬鹿な子ほど可愛いものだと言うけれど、ほんとうにまたあのお袋が・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・決闘の結果は予期とは相違していましたが、兎に角わたくしは自分の恋愛を相手に渡すのに、身を屈めて、余儀なくせられて渡すのではなく、名誉を以て渡そうとしたのだというだけの誇を持っています。」「どうぞ聖者の毫光を御尊敬なさると同じお心持で、勝・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・その割れ目は、飛び越すことも、また、橋を渡すこともできないほど隔たりができて、しかも急流に押し流されるように、沖の方方へだんだんと走っていってしまったのであります。 三人は、手を挙げて、声をかぎりに叫んで、救いを求めました。陸の方に近い・・・ 小川未明 「黒い人と赤いそり」
・・・お君が豹一に小遣いを渡すのを見て、「学校やめた男に金をやらんでもええやないか」 そして、お君が賃仕事で儲ける金をまきあげた。豹一が高等学校へはいるとき、安二郎はお君に五十円の金を渡した。貰ったものだと感謝していたところ、こともあろう・・・ 織田作之助 「雨」
出典:青空文庫