・・・砂は蹄鉄屋の前の火の光に照りかえされて濛々と渦巻く姿を見せた。仕事場の鞴の囲りには三人の男が働いていた。鉄砧にあたる鉄槌の音が高く響くと疲れ果てた彼れの馬さえが耳を立てなおした。彼れはこの店先きに自分の馬を引張って来る時の事を思った。妻は吸・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 母は腕のなゆる時、父は沖なる暗夜の船に、雨と、波と、風と、艪と、雲と、魚と渦巻く活計。 津々浦々到る処、同じ漁師の世渡りしながら、南は暖に、北は寒く、一条路にも蔭日向で、房州も西向の、館山北条とは事かわり、その裏側なる前原、鴨川、・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・団々として渦巻く煤烟は、右舷を掠めて、陸の方に頽れつつ、長く水面に横わりて、遠く暮色に雑わりつ。 天は昏こんぼうとして睡り、海は寂寞として声無し。 甲板の上は一時頗る喧擾を極めたりき。乗客は各々生命を気遣いしなり。されども渠等は未だ・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・濁流の渦巻く政界から次第に孤立して終にピューリタニックの使命に潜れるようになったは畢竟この潔癖のためであった。が、ドウしてYに対してのみ寛大であったろう。U氏は「沼南は不可解だ、神乎愚人乎」とその後しばしば私に話したが、私にも実はマダ謎であ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・「ちょうど、ここから見ると、あの太陽の沈む、渦巻く炎のような雲の下だ。その島に着くと、三人はひどいめにあった。朝から晩まで、獣物のように使役された。俺たちはどうかしてこの島から逃げ出したいものだと思ったけれど、どうすることもできなかった・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・今しも届きたる二三の新聞を読み終りて、辰弥は浴室にと宿の浴衣に着更え、広き母屋の廊下に立ち出でたる向うより、湯気の渦巻く濡手拭に、玉を延べたる首筋を拭いながら、階段のもとへと行違いに帰る人あり。乙女なり。かの人ぞと辰弥は早くも目をつけぬ。思・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・を少なくも一時戸まどいをさせた、そのオリジナリティに対する賛美に似たあるものと、もう一つには、その独創的計画をどこまでも遂行しようという耐久力の強さ、しかも病弱の体躯を寒い上空の風雨にさらし、おまけに渦巻く煤煙の余波にむせびながら、飢渇や甘・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・おしまいにある部屋のドアを押しあけてのぞくと、そこにはおおぜいの若い人たちが集まって渦巻く煙草の煙の中でラジオの放送を聞いているところであった。それはなんの放送だか彼にはわからなかった。ただ拡声器からガヤガヤという騒音が流れだしている中に交・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・松、竹、梅、桜、蓮、牡丹の如き植物と、鶴、亀、鳩、獅子、犬、象、竜の如き動物と、渦巻く雲、逆巻く波の如き自然の現象とは、いずれも一種不思議な意匠によって勇ましくも写実の規定から超越して巧みに模様化せられ、理想化せられてある。われわれは今日春・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・と圭さんは薄黒く渦巻く煙りを仰いで、草鞋足をうんと踏張った。「大変な権幕だね。君、大丈夫かい。十把一とからげを放り込まないうちに、君が飛び込んじゃいけないぜ」「あの音は壮烈だな」「足の下が、もう揺れているようだ。――おいちょっと・・・ 夏目漱石 「二百十日」
出典:青空文庫