・・・ 祖母は、風邪には温いものがいいだろうと云って、夕飯に芋粥を煮た。京一は、芋粥ばかりを食い、他の家族は、麦飯に少しの芋粥を掛けてうまそうに食った。「飯食う時だけは、その頬冠りを取れえ!」 と、祖母は云ったが、父母は、じろりと彼を・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・甲府なら、東京よりも温いほどで、この冬も大丈夫すごせると思った。 甲府へ降りた。たすかった。変なせきが出なくなった。甲府のまちはずれの下宿屋、日当りのいい一部屋かりて、机にむかって坐ってみて、よかったと思った。また、少しずつ仕事をすすめ・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・どこか温い土地か温泉に行って静かに思索してはいかがでしょう。青森の兄さんとも相談して、よろしくとりはからわれるよう老婆心までに申し上げます。或いは最早や温泉行きの手筈もついていることかと思います。温泉に引越したら御様子願い上げます。北沢君な・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ビフテキの、ほの温い包みを持って家へ帰る。この楽しさも、ことしはじめて知らされた。私はいままで、家に手土産をぶらさげて帰るなど、絶無であった。実に不潔な、だらしない事だと思っていた。「女中さんに三べんもお辞儀をした。苦心さんたんして持っ・・・ 太宰治 「新郎」
・・・実はこういうように原稿紙へノートが取ってありますから、時々これを見ながら進行すれば順序もよく整い遺漏も少なく、大変都合が好いのですけれども、そんな手温い事をしていてはとても諸君がおとなしく聴いていて下さるまいと思うから、ところどころ――では・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・それはもと姉が弟にするキスであったのに、いつか温い感じが出て来ましたのね。次第に脣と脣との出合ったのが離れにくくなりますのを、わたくしはわざと自分でも気に留めないようにしていましたの。そして手の震えるのをお互に隠し合うようにしていましたっけ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・くろへ腰掛けてこぼこぼはっていく温い水へ足を入れていてついとろっとしたらなんだかぼくが稲になったような気がした。そしてぼくが桃いろをした熱病にかかっていてそこへいま水が来たのでぼくは足から水を吸いあげているのだった。どきっとして眼をさました・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・切角イサベルが興奮し、熱烈になっても、何処にも其に交響する温い心の連絡が感じられない。従って、彼女の興奮は不自然に孤独で、何処となく無理、「芝居」の淋しさが、見る者の眼に湧上って来るのである。 若し実際の生活の中にある場合なら、到底イサ・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・ 壺井さんのそういう人柄は『暦』一巻のあらゆる作品の中に溢れていて、どんな読者もその人柄に感じる平明な温い積極な親しさについては既に一つの定評をなしている。 けれども、壺井さんについていわれるその人柄のよさというもの、虚飾なさ、健全・・・ 宮本百合子 「『暦』とその作者」
・・・作家の感想の範囲であるにしろ、評論に近いようなものも書く一人の読者に、この評論集が、その人間の評論的要素を刺戟しないで、作家としての心にある温い動きを与えるというところは、重ね重ねこの本の面白いところだと思う。それだけ、この『現代文学論』一・・・ 宮本百合子 「作家に語りかける言葉」
出典:青空文庫