・・・この時はちょうど午後一時ごろで冬ながら南方温暖の地方ゆえ、小春日和の日中のようで、うらうらと照る日影は人の心も筋も融けそうに生あたたかに、山にも枯れ草雑りの青葉少なからず日の光に映してそよ吹く風にきらめき、海の波穏やかな色は雲なき大空の色と・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・熊本地方は温暖であるがうえに、風のないよく晴れた日だから、冬ながら六千尺の高山もさまでは寒く感じない。高嶽の絶頂は噴火口から吐き出す水蒸気が凝って白くなっていたがそのほかは満山ほとんど雪を見ないで、ただ枯れ草白く風にそよぎ、焼け土のあるいは・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・一雨ごとに山の上でも温暖く成って来た時で、いくらか湿った土には日があたっていた。「桜井先生、あの高輪の方にあった御宅はどう成さいました」「高輪の家ですか。あれは君、実に馬鹿々々しい話サ……好い具合に人に胡麻化されて了いました……」・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ 種々な色彩に塗られた銀座通の高い建物の壁には温暖な日が映っていた。用達の為に歩き廻る途中、時々彼は往来で足を留めて、おせんのことを考えた。彼女が別れ際に残して行った長い長い悲哀を考えた。 恐らく、彼女は今幸福らしい……無邪気な小鳥・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・たとえばスカンディナヴィアの神話の中には、温暖な国の住民には到底思いつかれそうもないような、驚くべき氷や雪の現象、あるいはそれを人格化し象徴化したと思われるような描写が織り込まれているのである。 それで、わが国の神話伝説中にも、そういう・・・ 寺田寅彦 「神話と地球物理学」
・・・すなわち地面に近く著しく寒冷な気層があって、その上に氷点以上の比較的温暖な気層のある場合に起る現象である。凍雨の方は上層で出来た雨滴が下層の寒冷な空気を通過するうちにだんだん冷却して外部から氷結し始めるということは、内部に水や不透明の部分の・・・ 寺田寅彦 「凍雨と雨氷」
・・・明後日が初酉の十一月八日、今年はやや温暖く小袖を三枚重襲るほどにもないが、夜が深けてはさすがに初冬の寒気が感じられる。少時前報ッたのは、角海老の大時計の十二時である。京町には素見客の影も跡を絶ち、角町には夜を警めの鉄棒の音も聞える。・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ いかにも農家の裏山へ通じると云うおもむきの、苔のついた石段をのぼると低い切りどおし道になった。温暖な地方は共通なものと見えてその小道にしげっている羊歯の生え工合などが伊豆の山道を思いおこさせた。季節であればこのこみちにもりんどうの花が・・・ 宮本百合子 「琴平」
出典:青空文庫