・・・ 独で画を書いているといえば至極温順しく聞えるが、そのくせ自分ほど腕白者は同級生の中にないばかりか、校長が持て余して数々退校を以て嚇したのでも全校第一ということが分る。 全校第一腕白でも数学でも。しかるに天性好きな画では全校第一の名・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・ 現に拙者が貴所の希望に就き先生を訪うた日などは、先生の梅子嬢を罵る大声が門の外まで聞えた位で、拙者は機会悪しと見、直に引返えしたが、倉蔵の話に依ればその頃先生はあの秘蔵子なるあの温順なる梅子嬢をすら頭ごなしに叱飛していたとのことである・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・重役はこの山間に閉めこまれた、温順な家畜を利用することを忘れなかった。ほかで儲からなくなったその分を、この山間に孤立した鉱山から浮すことを考えた。 坑夫の門鑑出入がやかましいのは、Mの狡猾な政策から来ていた。 しかし、いくらやかまし・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・おげんが年若な伜の利発さに望みをかけ、温順しいお新の成長をも楽みにして、あの二人の子によって旦那の不品行を忘れよう忘れようとつとめるように成ったのも、あの再度の家出をあきらめた頃からであった。 そこまで思いつづけて行くと、おげんは独りで・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・あれで弟と違って、性質は温順な方なんですがネ。あれは小学校に居る時代から図画が得意でして、その方では何時でも甲を貰って来ましたよ。私が伜に、お前は何に成るつもりだッて聞きましたら、僕は大きく成ったら、泉先生のように成るんだなんて……あれで物・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・祖母という人は、温順な人ではあったが、実の祖母では無くて、継祖母であった。北村君自身の言葉を借りて云えば、不覊磊落な性質は父から受け、甚だしい神経質と、強い功名心とは母から受けた。斯ういう気風は少年の時からあって、それが非常にやかましい祖父・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・としの春にふと私から遠ざかっていった友人の久保君も、三四年まえのたしか今頃の季節に、きのう深田久弥に逢って来たと言い、日本人の作家には全く類がないくらいの、文学でないホオム・ライフを持っていて、あまり温順なので、こちらが腹の中で深田久弥の間・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・自分は同行者の温順な謙譲な人柄からその人がベデカの権威に絶対的に服従してベデカを通しての宮園のみを鑑賞する態度を感心もしまた歯がゆくも思った。しかし考えてみると、多くの自然科学の学生がその研究の対象とする自然を見るのに、あるいは教科書を通し・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・それがどういう動機でまたどういう種類の行為であったかを確かめる事ができないのであるが、ともかくも、普通の温順なるべき象としてあるまじき、常規を逸した不良な過激な行為であった事だけは疑いもない事であるらしい。そういう行為をあえてするという事は・・・ 寺田寅彦 「解かれた象」
・・・師は学生の頃は至って寡言な温順な人で学校なども至って欠席が少なかったが子規は俳句分類に取りかかってから欠席ばかりしていたそうだ。師と子規と親密になったのは知り合ってから四年もたって後であったが懇意になるとずいぶん子供らしく議論なんかして時々・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
出典:青空文庫