・・・の中で、ジル湖上の子供たちが、青と白との衣を着たプロテスタント派の少女を、昔ながらの聖母マリアだと信じて、疑わなかった話を書いている。ひとしく人の心の中に生きていると云う事から云えば、湖上の聖母は、山沢の貉と何の異る所もない。 我々は、・・・ 芥川竜之介 「貉」
・・・ その日は、終日がんたちは、湖上に悲しみ泣き叫んでいました。そして、夜になると彼らの一群は、しばらく名残を惜しむように、低く湖の上を飛んでいたが、やがて、Kがんを先頭に北をさして、目的の地に到達すべく出発したのであります。それは、星影の・・・ 小川未明 「がん」
・・・ この湖畔の呉王廟は、三国時代の呉の将軍甘寧を呉王と尊称し、之を水路の守護神としてあがめ祀っているもので、霊顕すこぶるあらたかの由、湖上往来の舟がこの廟前を過ぐる時には、舟子ども必ず礼拝し、廟の傍の林には数百の烏が棲息していて、舟を見つ・・・ 太宰治 「竹青」
・・・百足山昔に変らず、田原藤太の名と共にいつまでも稚き耳に響きし事は忘れざるべし。湖上の景色見飽かざる間に彦根城いつしか後になり、胆吹山に綿雲這いて美濃路に入れば空は雨模様となる。大垣の商人らしき五十ばかりの男頻りに大垣の近況を語り関が原の戦を・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・峠へ上って行く途中の新道からの湖上の眺めは誠に女車掌の説明のごとく又なく美しいものである。昔の東海道の杉並木の名残が、蛇行する自動車道路を直線的に切っているのが面白い。平野ではこれと反対に旧道の曲線を新道の直線で切っている場合が多いのである・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・然しわたくしの知人で曾てこの地に卜居した者の言う所によれば、土地陰湿にして夏は蚊多く冬は湖上に東北の風を遮るものがないので寒気甚しくして殆ど住むに堪えないと云うことである。 不忍池の周囲は明治十六七年の頃に埋立てられて競馬場となった。一・・・ 永井荷風 「上野」
出典:青空文庫