・・・を読む読者の心に湧く当然の疑問であると思う。しんでは極めて物質的な葉子が、女の幸福、この世に於ける女の喜び、誇りの全部をかけて、ただ男とのいきさつの間にだけその解決を求めていたことに対して、それが葉子のみならず、現実に女の不幸の最大原因であ・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・如き文化性から生み出されるかという印象を与える雰囲気、画面の所謂芸術写真風な印画美であるが、私たち数人の観衆はこの文化映画として紹介されているもののつめたさに対して何か人間としてのむしゃくしゃが胸底に湧くのを禁じ得なかった。例えば児童の生活・・・ 宮本百合子 「映画の語る現実」
・・・都会では、処々に庭と云う名目の下に切り遺された大自然の一部が、辛うじて、大地から湧く生命の泉を守って居る。私は、衝動的に、晴々と拘りない地平線を飽くほど眺めたい渇望を感じた。大らかな天蓋のように私共の頭上に懸って居べき青空は、まるで本来の光・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・つまらない、という上は、読者が何か文学から求めているものがほかにあり、しかもそれが満たされていないところから湧く声である。 さながら文学青年によって今日の作家は害されているようにいわれているが、文学青年と一括されて語られている若い人・・・ 宮本百合子 「「大人の文学」論の現実性」
・・・この一事を、深く深く思ったとき、私たちの胸に湧く自分への激励、自分への鞭撻、自分への批判こそ一人一人の女を育て培いながら、女全体の歴史の海岸線を小波が巖を砂にして来たように変えてゆく日夜の秘められた力であると思う。〔一九四〇年六月〕・・・ 宮本百合子 「女の歴史」
・・・実際、左様やって一月でも二月でも会わず、互に遠くから静かに互のことを思ったら、必ずよりよい理解が湧くに相異ない。良人に愛され、母に愛され、その地上的愛の葛藤に苦しむよりは、相方が或強制を以て、人生を眺める方が、人格が深まるのかもしれないと云・・・ 宮本百合子 「傾く日」
・・・ 悲しさが湧く、涙がこぼれる、終には、自らの身の上にまでその事を考え及ぼして、自分が亡き後の人々の歎き、墓の形までを想像して泣く。 皆、私の年のさせる事である。 今日から三十年、四十年と、時がすぎて、私の髪が白くなったその時は一・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・竹垣が低くその下をめぐっていて、赤い細い虫の湧くおはぐろどぶがあった。うちの垣根は表も裏もからたちの生垣で、季節が来ると青い新芽がふき、白い花もついた。 裏通りは藤堂さんの森をめぐって、細い通が通っており、その道を歩けばからたちの生垣越・・・ 宮本百合子 「からたち」
・・・沼の畔から右に折れて登ると、そこに岩の隙間から清水の湧く所がある。そこを通り過ぎて、岩壁を右に見つつ、うねった道を登って行くのである。 ちょうど岩の面に朝日が一面にさしている。安寿は畳なり合った岩の、風化した間に根をおろして、小さい菫の・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・「あんな腐った鰯みたいな奴と一緒にいたら、虫が湧くわ。」「そんな無茶苦茶云うてんと。」「あかんったらあかん。南のが引き取りゃそれでええんじゃ。」「お前とこ虫が湧きゃ、わしとこでも虫が湧くわ。」とお霜は云った。「勘が引受け・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫