・・・芝居へやる。湯治を勧める。あるいは商売附合いの宴会へも父親の名代を勤めさせる――と云った具合に骨を折って、無理にも新蔵の浮かない気分を引き立てようとし始めました。そこでその日も母親が、本所界隈の小売店を見廻らせると云うのは口実で、実は気晴ら・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ 姉娘に養子が出来て、養子の魂を見取ってからは、いきぬきに、時々伊豆の湯治に出掛けた。――この温泉旅館の井菊屋と云うのが定宿を開けたのは、頭も、顔も、そのままの小一按摩の怨念であった。「あれえ。」 声は死んで、夫人は倒れた。・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・死にかかっている吾を見棄てて、芳之助と手を曳いて、温泉へでも湯治に行け。だがな、お前は家附の娘だから、出て行くことが出来ぬと謂えば、ナニ出て行くには及ばんから、床ずれがして寝返りも出来ない、この吾を、芳之助と二人で負って行って、姨捨山へ捨て・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・ここは構わないで、湯にでも入ったら可かろうと、湯治の客には妙にそぐわない世辞を言うと、言に随いて、ではそうさして頂きます、後生ですわ、と膠もなく引退った。畳も急に暗くなって、客は胴震いをしたあとを呆気に取られた。 ……思えば、それも便宜・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・「……何とも申様がない……しかし、そこで鹿落の温泉へは、療治に行ったとでもいうわけかね。」「湯治だなんのって、そんな怪我ではないのです。療治は疾うに済んだんですが、何しろ大変な火傷でしょう。ずッと親もとへ引込んでいたんですが、片親で・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・脚気山中、かさ粟津の湯へ、七日湯治をしねえ事には半月十日寝られねえで、身体中掻毟って、目が引釣り上る若旦那でね。おまけに、それが小春さんに、金子も、店も田地までも打込んでね。一時は、三月ばかりも、家へ入れて、かみさんにしておいた事もあったが・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・――私も今日は、こうして一人で留守番だが、湯治場の橋一つ越したこっちは、この通り、ひっそり閑で、人通りのないくらい、修善寺は大した人出だ。親仁はこれからが稼ぎ時ではないのかい。人形使 されば、この土地の人たちはじめ、諸国から入込んだ講中・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・方でなくっちゃ可けますまい、それですのにちょいちょいお見えなさいまする、どのお客様も、お止し遊ばせば可いのに、お妖怪と云えば先方で怖がります、田舎の意気地無しばかり、俺は蟒蛇に呑まれて天窓が兀げたから湯治に来たの、狐に蚯蚓を食わされて、それ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・「それなら、湯治にゆきなさるといい。ここから十三里ばかり西の山奥に、それはいい湯があります。谷は湯の河原になっています。二週間もいってきなされば、おまえさんのその体は、生まれ変わったようにじょうぶになることは請け合いです。」「それは・・・ 小川未明 「石をのせた車」
・・・ 三階にいて私は、これから草津に湯治にゆく、此の哀れな女の身の上のことなどを空想せられたのである。草津の湯は、皮膚の爛れるように熱い湯であると聞いている。六畳の室には電燈が吊下っていて、下の火鉢に火が熾に起きている。鉄瓶には湯が煮え沸っ・・・ 小川未明 「渋温泉の秋」
出典:青空文庫