・・・「兄さんは何をしますか、繩をなうならいっしょに藁を湿しましょう」「うんおれは俵を編む、はま公にも繩をなわせろ」 省作は自分の分とはま公の分と、十把ばかり藁を湿して朝飯前にそれを打つ。おはまは例の苦のない声で小唄をうたいながら台所・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 上村は言って杯で一寸と口を湿して「僕は痩せようとは思っていなかった!」「ハッハッハッハッハッハッ」と一同笑いだした。「そこで僕はつくづく考えた、なるほど梶原の奴の言った通りだ、馬鹿げきっている、止そうッというんで止しちまっ・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・彼等は、昼に、パンと乾麺麭をかじり、雪を食ってのどを湿した。 どちらへ行けばイイシに達しられるか! 右手向うの小高い丘の上から、銃を片手に提げ、片手に剣鞘を握って、斥候が馳せ下りて来た。彼は、銃が重くって、手が伸びているようだった。・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・その緑色の風呂敷で、覆われて在る電燈の光が、部屋をやわらかく湿して、私の机も、火鉢も、インク瓶も、灰皿も、ひっそり休んでいて、私はそれらを、意地わるく冷淡に眺め渡して、へんに味気なく、煙草でも吸おうか、と蒲団に腹這いになりかけたら、また足も・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・熱湯で湿した顔ふきを持って来た。……少しセンチメンタルになる。 帰りに四馬路という道を歩く。油絵の額を店に並べて、美しく化粧をした童女の並んでいる家がところどころにある。みんな娼楼だという。芸妓が輿に乗って美しい扇を開いて胸にかざしたの・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
出典:青空文庫