・・・丁度満州事変が起った直後のことであった。 寮生はすべて丸刈りたるべしという規則は、私にとっては奇怪な規則であった。私は何故こんな規則が出来たのだろうかと、暫く思案したが、よく判らなかった。そこで私は、もしかしたらこれは、長髪の生徒の中に・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ そこへ、都新聞の記者が来て、「満州へ行かれるんですか。旅行日記はぜひ頼みますよ」「うえへッ!」 武田さんは飛び上った。「まず、満州へ行く感想といった題で一文いただけませんか」「誰が満州へ行くんだい?」「あなたが・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・彼は生涯女の後を追い続けたが、私は静子がやがて某拳闘選手と二人で満州に走った時、満州は遠すぎると思った。追いもせず大阪に残った私は、いつか静子が角力取りと拳闘家だけはまだ知らないと言っていたのを思い出して、何もかも阿呆らしくなってしまい、も・・・ 織田作之助 「世相」
・・・内地でだってそうだ。満州でだってそうだ。ところが、彼れらは、金を取るためではなく、自分たちの生活を築きあげるために働いている。他人のために働いているんではなく、自分のために働いているんだ! むつまじげに労働学生が本をかかえて歩いている。・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・それよりは、一九三一年の満州上海事変とその後に於て、ファッショ文学が動員されている如く、既に一八九四年の最初の戦争から一貫して、文学は戦争のために動員されていることが注目に価する。そして、そのいずれの文学も下劣極る文学だったことが注目に価す・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・いつぞや遠く満州の果てから家をあげて帰国した親戚の女の子の背丈までもそこに残っている。私の娘も大きくなった。末子の背は太郎と二寸ほどしか違わない。その末子がもはや九文の足袋をはいた。 四人ある私の子供の中で、身長の発育にかけては三郎がい・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・遠く満州の果てから帰国した親戚のものの置いて行ったみやげの残りだ。ロシアあたりの子供でもよろこびそうなボンボンだ。茶の間には末子が婆やを相手に、針仕事をひろげていた。私はその一つ一つ紙にひねってあるボンボンを娘に分け、婆やに分け、次郎のいる・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・教授がボオルドに問題を書きなぐっている間に、われの背後の大学生たちは、学問の話でなく、たいてい満州の景気の話を囁き合っているのである。ボオルドには、フランス語が五六行。教授は教壇の肘掛椅子にだらしなく坐り、さもさも不気嫌そうに言い放った。・・・ 太宰治 「逆行」
・・・こういう満州の道路にはかれはほとんど愛想をつかしてしまった。どこまで行ったらこの路はなくなるのか。どこまで行ったらこんな路は歩かなくってもよくなるのか。故郷のいさご路、雨上がりの湿った海岸の砂路、あの滑らかな心地の好い路が懐しい。広い大きい・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・そうしてその翌晩はまた満州から放送のラジオで奉天の女学生の唱歌というのを聞いた。これはもちろん単純なる女学生の唱歌には相違なかったが、しかし不思議に自分の中にいる日本人の臓腑にしみる何ものかを感じさせられた。それはなんと言ったらいいか、たと・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫