・・・のみならず朋輩たちに、後指をさされはしないかと云う、懸念も満更ないではなかった。が、それにも増して堪え難かったのは、念友の求馬を唯一人甚太夫に託すと云う事であった。そこで彼は敵打の一行が熊本の城下を離れた夜、とうとう一封の書を家に遺して、彼・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・何しろ、その時分は、あの女もたった一人のおふくろに死別れた後で、それこそ日々の暮しにも差支えるような身の上でございましたから、そう云う願をかけたのも、満更無理はございません。「死んだおふくろと申すのは、もと白朱社の巫子で、一しきりは大そ・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・お蓮の方、東京も満更じゃありますまい。」 お蓮は牧野にこう云われても、大抵は微笑を洩らしたまま、酒の燗などに気をつけていた。 役所の勤めを抱えていた牧野は、滅多に泊って行かなかった。枕もとに置いた時計の針が、十二時近くなったのを見る・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・と云い合いて、別れ別れに一方は大路へ、一方は小路へ、姿を下駄音と共に消すのも、満更厭な気ばかり起させる訳でもない。 私も嘗て、本郷なる何某と云うレストランに、久米とマンハッタン・カクテルに酔いて、その生活の放漫なるを非難したる事ありしが・・・ 芥川竜之介 「久米正雄」
・・・俊寛様は御珍しそうに、その話を聞いていらっしゃいましたが、まだ船の見える間は、手招ぎをなすっていらしったと云う、今では名高い御話をすると、「それは満更嘘ではない。何度もおれは手招ぎをした。」と、素直に御頷きなさいました。「では都の噂・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・朦朧とはしながらも、烏帽子の紐を長くむすび下げた物ごしは満更狐狸の変化とも思われない。殊に黄色い紙を張った扇を持っているのが、灯の暗いにも関らず気高くはっきりと眺められた。「翁とは何の翁じゃ。」「おう、翁とばかりでは御合点まいるまい・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・その友人が、後に私が発狂したと云う噂を立てたのも、当時の私の異常な行動を考えれば、満更無理な事ではございません。しかし、私の発狂の原因を、私の妻の不品行にあるとするに至っては、好んで私を侮辱したものと思われます。私は、最近にその友人への絶交・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・ と軽い返事で、身軽にちょこちょこと茶の間から出た婦は、下膨れの色白で、真中から鬢を分けた濃い毛の束ね髪、些と煤びたが、人形だちの古風な顔。満更の容色ではないが、紺の筒袖の上被衣を、浅葱の紐で胸高にちょっと留めた甲斐甲斐しい女房ぶり。些・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・病気したからだと私は答えたが、満更嘘を言ったわけではない。私は学校にいた時呼吸器を悪くして三月許り休学していたことがある。徴兵官は私の返答をきくとそりゃ惜しいことをしたなと言い、そしてジロリと私の頭髪を見て、この頃そういう髪の型が流行してい・・・ 織田作之助 「髪」
・・・が想い出せない所を見ると、満更わるい印象を受けたわけではないのだろうと思い、礼吉は貰う肚を決めた。 貰うと決めてみると、さすがになんだか心細い気もした。そうして一週間ばかり経ったある朝、新聞を見ていた礼吉は急に耳まで赧くなった。建艦運動・・・ 織田作之助 「妻の名」
出典:青空文庫