・・・そういう活動的な習慣はこのごろ若い人々の間に移って来て、旅の楽しさ、旅の間に動いている人間らしい目付の溌剌とした輝きが快く目にとまるようになった。そんな、けちな街の映画館でさえ、人々が少し溜ると、誰からとなく広間の中に列をつくってぐるりと歩・・・ 宮本百合子 「映画」
・・・よさは一方に瑞々しい適応性や柔軟性をもっていなければならず、シルビア・シドニイというような女優は学問をやったという意味での頭脳はあるかもしれないが、例えば、カザリン・ヘッバーンの持っている感性としての溌剌としたあたまのよさのようなものは、も・・・ 宮本百合子 「映画女優の知性」
・・・それでいながら、新らしきもの、古きものが溌剌と活溌に矛盾のままを発揚し、そのことによって発育してゆく可能を喪失して、一方では極めて低く単一化されている姿は、過去の歴史に対する今日の歴史の本質として深い省察と苦悩とを与えるものだが、それ故にこ・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・な作家の心に湧いたより活溌な、より広汎な、より社会的な文学行動への欲望が、その当然な辛苦、隠忍、客観的観察、現実批判の健康性を内外から喪失して、しかも周囲の世俗の行動性からの衝撃に動かされ、作家のより溌剌な親しみのある文化性のあらわれである・・・ 宮本百合子 「おのずから低きに」
・・・舟から樽が、太股が、鮪と鯛と鰹が海の色に輝きながら溌溂と上って来た。突如として漁場は、時ならぬ暁のように光り出した。毛の生えた太股は、魚の波の中を右往左往に屈折した。鯛は太股に跨られたまま薔薇色の女のように観念し、鮪は計画を貯えた砲弾のよう・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・丁度、そうして夕暮れ鉄材を積んだ一隊の兵士と出会った場所まで来たとき、溌剌としていた昼間の栖方を思い出し、やっと梶は云った。「しかし、君、そういうところから人間の生活は始まるのだから、あなたもそろそろ始まって来たのですよ。何んでもないの・・・ 横光利一 「微笑」
・・・ 文展の日本画を目安にして言えば、確かに院展の日本画には生気溌剌たる所があるかも知れない。しかし我々の要求するのはこの種の技巧上の生気ではない。奥底から滲み出る生命の生気である。この要求を抱いて院展の諸画に対する時、我らはその人格的香気・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・と思われていた形の中から、対立者に応じて溌剌としたものが湧き出て来る。たとえば桜田門がそれである。あの門外でながめられるお濠の土手はかなりに高い。しかしそれは穏やかな、またなだらかな形の土手であって、必ずしも偉大さ力強さを印象するものではな・・・ 和辻哲郎 「城」
・・・その貴さは溌剌たる感受性の新鮮さの内にあります。その包容力の漠然たる広さの内にあります。またその弾性のこだわりのないしなやかさの内にあります。それは青春期の肉体のみずみずしさとちょうど相応ずるものです。そうして年とともに自然に失われて、特殊・・・ 和辻哲郎 「すべての芽を培え」
・・・ちょうど水墨画の溌剌とした筆触が描かれる形象の要求する線ではなくして、むしろ形象の自然性を否定するところに生じて来るごとく、能面の生動もまた自然的な生の表情を否定するところに生じてくるのである。 そこで我々は能面のこの作り方が、色彩と形・・・ 和辻哲郎 「能面の様式」
出典:青空文庫