・・・それから源氏物語を読んだが読めればこそ、一行も意義を解しては読めない。省作は本を持ったまま仰向きにふんぞり返って天井板を見る。天井板は見えなくておとよさんが見える。 今夜は湯に行かない方がええかしら。そうだゆくまい。行かないとしよう。な・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 奈良朝から平安朝、平安朝と来ては実に外美内醜の世であったから、魔法くさいことの行われるには最も適した時代であった。源氏物語は如何にまじないが一般的であったかを語っており、法力が尊いものであるかを語っている。この時代の人は大概現世祈祷を・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・聖書や源氏物語には音はない。全くのサイレントである。 太宰治 「音に就いて」
・・・私たちの古典に対する、この光景と酷似して居る。源氏物語自体が、質的にすぐれているとは思われない。源氏物語と私たちとの間に介在する幾百年の雨風を思い、そうしてその霜や苔に被われた源氏物語と、二十世紀の私たちとの共鳴を発見して、ありがたくなって・・・ 太宰治 「古典竜頭蛇尾」
・・・外国語どころか、源氏物語だって読めやしない。なんにも知らねえ癖に、それでも、教壇に立って、自信ありげに何か教えていやがる。学問が無くても、人格が立派とでもいうんならまだしも、毎日の自分の食べものに追われて走り廻っている有様で、人格もクソもあ・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・こういう意味において、源氏物語や落窪物語のようなものは、中等学校の歴史教科書よりも、文化国の大新聞の記事よりも、はるかに忠実な記録であり実証的な資料として役立つものである。おもしろいことには、そういう価値の多少がまたほとんど直ちに普通にいわ・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・しかし、たまには三原山記事を割愛したそのかわりに思い切って古事記か源氏物語か西鶴の一節でも掲載したほうがかえって清新の趣を添えることになるかもしれない。毎日繰り返される三原山型の記事にはとうの昔にかびがはえているが、たまに眼をさらす古典には・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・そうかと思うと『源氏物語』や『続世継』などに尺八の名があり、さらに上宮太子が尺八を吹かれたという話がある、シナには唐あたりの古いところにもとにかく尺八の名がある。しかしそれらの名前に相応する品物がどこまで同一のものであったかはわからない。長・・・ 寺田寅彦 「日本楽器の名称」
・・・ おとぎ話や伝説口碑のようなものでも日本の自然とその対人交渉の特異性を暗示しないものはないようである。源氏物語や枕草子などをひもといてみてもその中には「日本」のあらゆる相貌を指摘する際に参考すべき一種の目録書きが包蔵されている事を認める・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・人は『源氏物語』や近松や西鶴を挙げてわれらの過去を飾るに足る天才の発揮と見認めるかも知れないが、余には到底そんな己惚は起せない。 余が現在の頭を支配し余が将来の仕事に影響するものは残念ながら、わが祖先のもたらした過去でなくって、かえって・・・ 夏目漱石 「『東洋美術図譜』」
出典:青空文庫