・・・と思うとその元禄女の上には、北村四海君の彫刻の女が御隣に控えたベエトオフェンへ滴るごとき秋波を送っている。但しこのベエトオフェンは、ただお君さんがベエトオフェンだと思っているだけで、実は亜米利加の大統領ウッドロオ・ウイルソンなのだから、北村・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・い名の無い菌も、皮づつみの餡ころ餅ぼたぼたと覆すがごとく、袂に襟に溢れさして、山野の珍味に厭かせたまえる殿様が、これにばかりは、露のようなよだれを垂し、「牛肉のひれや、人間の娘より、柔々として膏が滴る……甘味ぞのッ。」 は凄じい。・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ ひたひたと木の葉から滴る音して、汲かえし、掬びかえた、柄杓の柄を漏る雫が聞える。その暗くなった手水鉢の背後に、古井戸が一つある。……番町で古井戸と言うと、びしょ濡れで血だらけの婦が、皿を持って出そうだけれども、別に仔細はない。……参詣・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・炬燵の上に水仙が落ちて、花活の水が点滴る。 俊吉は、駈下りた。 遠慮して段の下に立った女中が驚きながら、「あれ、まあ、お銚子がつきましてございますが。」 俊吉は呼吸がはずんで、「せ、せ、折角だっけ、……客は帰ったよ。」・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・紅、霞の紫、春のまさに闌ならんとする気を籠めて、色の濃く、力の強いほど、五月雨か何ぞのような雨の灰汁に包まれては、景色も人も、神田川の小舟さえ、皆黒い中に、紅梅とも、緋桃とも言うまい、横しぶきに、血の滴るごとき紅木瓜の、濡れつつぱっと咲いた・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ この世盛りの、思い上れる、美しき女優は、樹の緑蝉の声も滴るがごとき影に、框も自然から浮いて高い処に、色も濡々と水際立つ、紫陽花の花の姿を撓わに置きつつ、翡翠、紅玉、真珠など、指環を三つ四つ嵌めた白い指をツト挙げて、鬢の後毛を掻いたつい・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・湯気が天井から雫になって点滴るのではなしに、屋根の雪が溶けて落ちるような気勢である。 ばちゃん、……ちゃぶりと微かに湯が動く。とまた得ならず艶な、しかし冷たい、そして、におやかな、霧に白粉を包んだような、人膚の気がすッと肩に絡わって、頸・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ などという、いわんや巌に滴るのか、湯槽へ落つるのか、湯気の凝ったのか、湯女歌の相間々々に、ぱちゃんぱちゃんと響きまするにおいてをや。 十四 これへ何と、前触のあった百万遍を持込みましたろうではありません・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・すなわち木はおもに楢の類いで冬はことごとく落葉し、春は滴るばかりの新緑萌え出ずるその変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて、春夏秋冬を通じ霞に雨に月に風に霧に時雨に雪に、緑蔭に紅葉に、さまざまの光景を呈するその妙はちょっと西国地方ま・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ 庭は一隅の梧桐の繁みから次第に暮れて来て、ひょろ松檜葉などに滴る水珠は夕立の後かと見紛うばかりで、その濡色に夕月の光の薄く映ずるのは何とも云えぬすがすがしさを添えている。主人は庭を渡る微風に袂を吹かせながら、おのれの労働が為り出した快・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
出典:青空文庫