・・・ 演技の前提としての人間的確立などということは、近代の芝居道ではおどろくべく古い云い草なのだろうと思う。きくまでもない、と思われるにちがいない。けれども、日本の社会は、全体が、分りきったこと、云われるまでもないことが、又改めてとりあげら・・・ 宮本百合子 「俳優生活について」
・・・前後して、『テアトロ』一月号の「演技批評への不満を訊く」座談会の記事を読んで、これからもうけるものがありました。 この座談会では、俳優の側から見て今日の演劇批評が与えるものを持っていないということが主として言われているようです。一人の読・・・ 宮本百合子 「一つの感想」
・・・映画として観れば、細部に納得の行かぬ点、あまり好都合過ぎる点、カメラの効果の点で疑問がない訳ではなかったが、この作品が昨年度の傑作の一つとなり得たのはポール・ムニの演技がこの科学者の人間的諸感情、情熱をその仕事との綜合でまざまざと生かし得た・・・ 宮本百合子 「ヒューマニズムへの道」
・・・ 演劇にしろ、彼女たちが光彩を放ったのは常に演技者としてであり劇作家としてではなかった。すでに創られているものをその感受性と表現の力によって再現してゆく、そこに新しい命を与えてゆくことにほとんど限られていた。これはどういうわけであったの・・・ 宮本百合子 「婦人の文化的な創造力」
・・・ハウプトマン氏は衝動的の演技だと言った。パリの批評家にしてウィーンの青年文学者に愛慕せられたサルセエ氏もこの年初めて彼女を見て、芸術ではない恐ろしい自然の力だ、と言った。お世辞のよいサラ・ベルナアルでさえあのひとは天才ではないと批評した。イ・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
・・・が、このように自然的な動きを殺すことが、かえって人間の自然を鋭く表現するゆえんであることは、能の演技がきわめて明白に実証しているところである。それは色彩と形似を殺した水墨画がかえって深く大自然の生を表現するのと等しい。芸術におけるこのような・・・ 和辻哲郎 「能面の様式」
・・・そこにおのずから、人形の首の運動が演技様式発展の媒介者として存することを見いだし得るであろう。 あるいはまた人形の肩の動作である。これもまた首の動作に連関して人形の構造そのものの中に重大な地位を占めている。人形使いはたとえば右肩をわずか・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
出典:青空文庫