・・・かれは当時、村の青年四、五名をあつめて漢籍を教えていた。 自分は当時、かれを見るごとに言うべからざる痛ましさを感じた。かれは『過去』の亡魂である、それでもいい足りない。『封建時代』の化石である、それでもいい足りない。谷川の水、流れととも・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・ 習字と漢籍の素読と武芸とだけで固めた吾等の父祖の教育の膳立ては、ともかくも一つのイデオロギーに統一された、筋の通り切ったものであった。明治大正を経た昭和時代の教育のプログラムはそれに比べてたしかにレビュー式である。盛り沢山の刺戟はある・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・その頃われわれが漢籍の種別とその価格とについて少しく知る所のあったのは、わたしと倶に支那語を学んでいた島田のおかげである。ここに少しく彼について言わなければならない。島田、名は翰、自ら元章と字していた。世に知られた宿儒篁村先生の次男で、われ・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・此のはなしは其日僕が恰東仲通の或貸席に開かれた古書売立の市で漢籍を買って、その帰途に立寄った時、お民が古本を見て急に思出したように語ったことである。 お民は父母のことを呼ぶに、当世の娘のように、「おとうさん、おかあさん」とは言わず「おっ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・何でも其中に、英書を読む者は漢籍が出来ず、漢籍の出来るものは英書は読めん、我兄の如きは千万人中の一人なりとか何とか書いて居った。処が其大将の漢文たるや甚だまずいもので、新聞の論説の仮名を抜いた様なものであった。けれども詩になると彼は僕よりも・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・京大阪での五六年間を、宗房はこれまでのつづきで談林派の北村季吟の門に遊んだり、漢籍や書の修業に費したらしいけれども、彼の多感な青春彷徨は、武家時代をひきついで十七世紀の日本の歴史に新時代を画しつつあった商人擡頭期の京大阪の豪奢な日夜のうちに・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
出典:青空文庫