・・・からだ中の血液の濁りを洗うような気がする。こういうものが、うちの机の前に坐ったままで聞かれるのはやはりラジオの効用だと思う。 寺田寅彦 「ラジオ雑感」
隅田川の水はいよいよ濁りいよいよ悪臭をさえ放つようになってしまったので、その後わたくしは一度も河船には乗らないようになったが、思い返すとこの河水も明治大正の頃には奇麗であった。 その頃、両国の川下には葭簀張の水練場が四・・・ 永井荷風 「向島」
・・・演説者はぴたりと演説をやめてつかつかとこの村夫子のたたずめる前に出て来る。二人の視線がひたと行き当る。演説者は濁りたる田舎調子にて御前はカーライルじゃないかと問う。いかにもわしはカーライルじゃと村夫子が答える。チェルシーの哲人と人が言囃すの・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・ そしていつか薄明は黄昏に入りかわられ、苔の花も赤ぐろく見え西の山稜の上のそらばかりかすかに黄いろに濁りました。 そのとき私ははるかの向うにまっ白な湖を見たのです。(水ではないぞ、また曹達や何かの結晶だぞ。いまのうちひどく悦んで・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・ そしてその次の日、イーハトーヴの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅いろになったのを見ました。 けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。そしてちょうど、このお話の・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・ そしてそれっきり浪はもう別のことばで何べんも巻いて来ては砂をたててさびしく濁り、砂を滑らかな鏡のようにして引いて行っては一きれの海藻をただよわせたのです。 そして、ほんとうに、こんなオホーツク海のなぎさに座って乾いて飛んで来る砂や・・・ 宮沢賢治 「サガレンと八月」
・・・大人が、あなたがたの生きかたを眺めたとき、かつては自分たちも、あのように濁りない瞳、あのように真直な心とをもっていたのだと感動をもって思いかえし、一刻なりとも素直な心をとり戻すように、其位健やかに、熱心に、よく生きようと励んで下さい。 ・・・ 宮本百合子 「美しく豊な生活へ」
・・・真昼 けたたましい声をあげる。昨日も、おとといも 又さきおとといも私は部屋から声をきいた。然し、何と云う いやな音。雀は勿論 彼等は電車より厭な声を出す。濁り、限られ、さも苦しそうにあとから あとから・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・ この作品は、作者が年若い少女であったことと、その少女の生活環境にあわして社会的に積極的な取材であったこと、単純だが濁りのない人間感動などによって、その時代の文学に一つの話題となった。しかし、このことは、作者の生活を着実に大人の女として・・・ 宮本百合子 「作者の言葉(『貧しき人々の群』)」
・・・河は激しい音を立てて濁り出す。枯木は山の方から流れて来る。「雨、こんこん降るなよ。 屋根の虫が鳴くぞよ。」 灸は柱に頬をつけて歌を唄い出した。蓑を着た旅人が二人家の前を通っていった。屋根の虫は丁度その濡れた旅人の蓑のよう・・・ 横光利一 「赤い着物」
出典:青空文庫