・・・ 戸が今西の後にしまった後、陳は灰皿に葉巻を捨てて、机の上の封書を取上げた。それは白い西洋封筒に、タイプライタアで宛名を打った、格別普通の商用書簡と、変る所のない手紙であった。しかしその手紙を手にすると同時に、陳の顔には云いようのない嫌・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・ 山川技師もにやにやしながら、長くなった葉巻の灰を灰皿の中へはたき落した。「しかも更に面白い事は――」 少佐は妙に真面目な顔をして、ちょいと語を切った。「僕はその何小二と云うやつを知っているのだ。」「知っている? これは・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・本間さんは短くなったM・C・Cを、灰皿の中へ抛りこみながら、頸をまっすぐにのばして、はっきりとこう云った。「では他言しませんから、その事実と云うのを伺わせて下さい。」「よろしい。」 老紳士は一しきり濃い煙をパイプからあげながら、・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・粟野さんは今日も煙草の缶、灰皿、出席簿、万年糊などの整然と並んだ机の前に、パイプの煙を靡かせたまま、悠々とモリス・ルブランの探偵小説を読み耽っている。が、保吉の来たのを見ると、教科書の質問とでも思ったのか、探偵小説をとざした後、静かに彼の顔・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・「さ、お待遠様。」「難有い。」「灰皿――灰落しらしいわね。……廊下に台のものッて寸法にいかないし、遣手部屋というのがないんだもの、湯呑みの工面がつきやしません。……いえね、いよいよとなれば、私は借着の寸法だけれど、花柳の手拭の切・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ふだん枕元に、スタンドや灰皿や紅茶茶碗や書物、原稿用紙などをごてごてと一杯散らかして、本箱や机や火鉢などに取りかこまれた蒲団のなかに寝る癖のある私には、そのがらんとした枕元の感じが、さびしくてならなかった。にわかに孤独が来た。 旅行鞄か・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・その緑色の風呂敷で、覆われて在る電燈の光が、部屋をやわらかく湿して、私の机も、火鉢も、インク瓶も、灰皿も、ひっそり休んでいて、私はそれらを、意地わるく冷淡に眺め渡して、へんに味気なく、煙草でも吸おうか、と蒲団に腹這いになりかけたら、また足も・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ところが今の巻煙草では灰皿を叩いても手ごたえが弱く、紙の吸口を噛んでみても歯ごたえがない。尤も映画などで見ると今の人はそういう場合に吸殻で錐のように灰皿の真中をぎゅうぎゅう揉んだり、また吸殻をやけくそに床に叩きつけたりするようである。あれで・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・コーヒー茶わんとか灰皿とかのこわれた代わりを買いに行っても、近ごろのものには、大概たまらなくいやだと思うような全く無益な装飾がしてあってどうにも買う気になれないのである。ネクタイがあまり古ぼけたので一つ奮発しようと思って物色しても、あのたく・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ すごい顔色になって、肩ごしに灰皿をつかんでなげようとする。津田と二人で、それを止めて外へでると、小野はこんどは三吉にくってかかる。――な、青井さ、きみァボルな? え、何故だまっとるな?――。それからとつぜん、三吉の腕にもたれてシクシク・・・ 徳永直 「白い道」
出典:青空文庫