・・・――まあ、災難とお諦めなさい。しかし馬の脚は丈夫ですよ。時々蹄鉄を打ちかえれば、どんな山道でも平気ですよ。……」 するともう若い下役は馬の脚を二本ぶら下げたなり、すうっとまたどこかからはいって来た。ちょうどホテルの給仕などの長靴を持って・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・こう言う災難に遇ったのですから、勿論火事などには間に合いません。のみならず半之丞は傷だらけになり、這うようにこの町へ帰って来ました。何でも後で聞いて見れば、それは誰も手のつけられぬ盲馬だったと言うことです。 ちょうどこの大火のあった時か・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・しかし、それまでには孫のお栄も、不慮の災難でもございませなんだら、大方年頃になるでございましょう。何卒私が目をつぶりますまででよろしゅうございますから、死の天使の御剣が茂作の体に触れませんよう、御慈悲を御垂れ下さいまし。」 祖母は切髪の・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・いろいろ災難に逢いまして、にわかの物貰いで勝手は分りませず……」といいかけて婦人は咽びぬ。 これをこの軒の主人に請わば、その諾否いまだ計りがたし。しかるに巡査は肯き入れざりき。「いかん、おれがいったんいかんといったらなんといってもい・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・何だか災難でもかかるんじゃないかと思って、私気になって仕ようが無い。早瀬 詰らん事を。災難なんか張倒す。お蔦 おお、出来した、宿のおまえさん。早瀬 お茶屋じゃない。場所がらを知らないかい。お蔦 嬉しい、久しぶりで叱られた。だ・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・この絵を描いたろうそくを山の上のお宮にあげて、その燃えさしを身につけて、海に出ると、どんな大暴風雨の日でも、けっして、船が転覆したり、おぼれて死ぬような災難がないということが、いつからともなく、みんなの口々に、うわさとなって上りました。・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・この絵を描いた蝋燭を山の上のお宮にあげてその燃えさしを身に付けて、海に出ると、どんな大暴風雨の日でも決して船が顛覆したり溺れて死ぬような災難がないということが、いつからともなくみんなの口々に噂となって上りました。「海の神様を祭ったお宮様・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
・・・ 門番が見つけたら、またひと災難であろうと、お姫さまは心配をなされましたが、門番はこのときまで、まだいい心地に居眠りをしていましたので、乞食のふうをした若い女が、自分の前を忍び足で通り過ぎたのをまったく知らなかったのであります。 お・・・ 小川未明 「お姫さまと乞食の女」
・・・ 五年経ち、お君が二十四、子供が六つの年の暮、金助は不慮の災難であっけなく死んでしまった。その日、大阪は十一月末というのに珍しくちらちら粉雪が舞うていた。孫の成長とともにすっかり老いこみ耄碌していた金助が、お君に五十銭貰い、孫の手を・・・ 織田作之助 「雨」
・・・…… 自分はその前年の九月の震災まで、足かけ五年間、鎌倉の山の中の古寺の暗い一室で、病気、不幸、災難、孤独、貧乏――そういったあらゆる惨めな気持のものに打挫かれたような生活を送っていたのだったが、それにしても、実際の牢獄生活と較べてどれ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
出典:青空文庫