・・・風速十三米と覚しき烈風が雨を吹き上げていた。家の前の池は無気味な赤さに鳥肌立っていた。だんだんに夜が明けて来ると、雨の白さが痛々しく見えて、私はS達の雨中の行軍を想いやった。 朝、風に吹き飛ばされそうになりながら、雨襖を突き進んで、漸く・・・ 織田作之助 「面会」
・・・たとえば、正面切った大官の演説内容よりも、演説の最中に突如として吹き起った烈風のために、大官のシルクハットが吹き飛ばされたという描写の方を、読者はしばしば興味をもって読みがちである。 実は、その出来事が新聞に載らなかったのは、たった一人・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・今の人間の命の火は、油がつきて滅するのでなくて、みな烈風に吹き消されるのである。わたくしは、いま手もとに統計をもたないけれど、病死以外の不慮の横死のみでも、年々幾万にのぼるか知れないのである。 鰯が鯨の餌食となり、雀が鷹の餌食となり、羊・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・する、溺死する、焚死する、震死する、轢死する、工場の器機に捲込れて死ぬる、鉱坑の瓦斯で窒息して死ぬる、私慾の為めに謀殺される、窮迫の為めに自殺する、今の人間の命の火は、油の尽きて滅するのでなくて、皆な烈風に吹消さるるのである、私は今手許に統・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・テントは烈風にはためき、木戸番は声をからして客を呼んでいる。ふと絵看板を見ると、大きな沼で老若男女が網を曳いているところがかかれていて、ちょっと好奇心のそそられる絵であった。私は立ちどまった。「伯耆国は淀江村の百姓、太郎左衛門が、五十八・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・ならずものの与兵衛とかいう若い男が、ふとしたはずみで女を、むごたらしく殺してしまって、その場に茫然立ちつくしていると、季節は、ちょうど五月、まちは端午の節句で、その家の軒端の幟が、ばたばたばたばたと、烈風にはためいている音が聞えて淋しいとも・・・ 太宰治 「音に就いて」
・・・たちまち烈風。スプリングの裾がぱっとめくりあげられ、一握の小砂利が頬めがけて叩きつけられぱちぱち爆ぜた。ぐっと眼をつぶって、今夜死ぬるとわれに囁き、みんながみんな遠くへ去っていって、世界に私がひとりだけ居るような気持ちで、ながいこと道路のま・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・着物が烈風で揉みくちゃにされていた。どこまでも歩いた。 滝の音がだんだんと大きく聞えて来た。ずんずん歩いた。てのひらで水洟を何度も拭った。ほとんど足の真下で滝の音がした。 狂い唸る冬木立の、細いすきまから、「おど!」 とひく・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・強くなれ、なれ。烈風、衣服はおろか、骨も千切れよ、と私たち二人の身のまわりを吹き荒ぶ思い、見ゆるは、おたがいの青いマスク、ほかは万丈の黄塵に呑まれて一物もなし。この暴風に抗して、よろめきよろめき、卓を押しのけ、手を握り、腕を掴み、胴を抱いた・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ 高い上空を吹いている烈風が峰に当って渦流をつくる。その渦が時々風陰のこの谷底に舞い降りて来るので、その度ごとにこうした突風が屋を揺るがすのではないかと思われた。 夜が明けても雨は小止みもなく降り続いた。松本までの車を雇って山を下り・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
出典:青空文庫