・・・それに萎えた揉烏帽子をかけたのが、この頃評判の高い鳥羽僧正の絵巻の中の人物を見るようである。「私も一つ、日参でもして見ようか。こう、うだつが上らなくちゃ、やりきれない。」「御冗談で。」「なに、これで善い運が授かるとなれば、私だっ・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・しかしそれよりも嬉しかったのは、烏帽子さえかぶらない土人の男女が、俊寛様の御姿を見ると、必ず頭を下げた事です。殊に一度なぞはある家の前に、鶏を追っていた女の児さえ、御時宜をしたではありませんか? わたしは勿論嬉しいと同時に、不思議にも思った・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・朦朧とはしながらも、烏帽子の紐を長くむすび下げた物ごしは満更狐狸の変化とも思われない。殊に黄色い紙を張った扇を持っているのが、灯の暗いにも関らず気高くはっきりと眺められた。「翁とは何の翁じゃ。」「おう、翁とばかりでは御合点まいるまい・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・ 舞台の人形は、藍色の素袍に、立烏帽子をかけた大名である。「それがし、いまだ、誇る宝がござらぬによって、世に稀なる宝を都へ求めにやろうと存ずる。」人形を使っている人が、こんな事を云った。語と云い、口調と云い、間狂言を見るのと、大した変り・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・ 死骸は縹の水干に、都風のさび烏帽子をかぶったまま、仰向けに倒れて居りました。何しろ一刀とは申すものの、胸もとの突き傷でございますから、死骸のまわりの竹の落葉は、蘇芳に滲みたようでございます。いえ、血はもう流れては居りません。傷口も乾い・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。 何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか云う災がつづ・・・ 芥川竜之介 「羅生門」
・・・石段の上に立って眺めますと、見渡す限り西も東も一面の人の海で、それがまた末はほのぼのと霞をかけた二条の大路のはてのはてまで、ありとあらゆる烏帽子の波をざわめかせて居るのでございます。と思うとそのところどころには、青糸毛だの、赤糸毛だの、ある・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・だから君、火星のアアビングや団十郎は、ニコライの会堂の円天蓋よりも大きい位な烏帽子を冠ってるよ』『驚いた』『驚くだろう?』『君の法螺にさ』『法螺じゃない、真実の事だ。少くとも夢の中の事実だ。それで君、ニコライの会堂の屋根を冠・・・ 石川啄木 「火星の芝居」
・・・ 今はたとい足許が水になって、神路山の松ながら人肌を通す流に変じて、胸の中に舟を纜う、烏帽子直垂をつけた船頭なりとも、乗れとなら乗る気になった。立花は怯めず、臆せず、驚破といわば、手釦、襟飾を隠して、あらゆるものを見ないでおこうと、胸を・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・、――斎川以西有羊腸、維石厳々、嚼足、毀蹄、一高坂也、是以馬憂これをもってうまかいたいをうれう、人痛嶮艱、王勃所謂、関山難踰者、方是乎可信依、土人称破鐙坂、破鐙坂東有一堂、中置二女影、身着戎衣服、頭戴烏帽子、右方執弓矢、左方撫刀剣――とあり・・・ 泉鏡花 「一景話題」
出典:青空文庫