・・・これとても、ゲエテの素朴な詩精神に敬服しているのではなく、ゲエテの高位高官に傾倒しているらしい、ふしが、無いでもない。あやしいものである。けれども、兄妹みんなで、即興の詩など、競作する場合には、いつでも一ばんである。できている。俗物だけに、・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・しかしそれに世界を漫遊させる程、おうような評議会を持っている銀行は、先ずウィインにも無い。 * * * 文士珈琲店の客は皆知り合いである。その中に折々来る貴族が二人あった。それが来るの・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ もうパリイへ行こうと思うことなんぞはおれの頭に無い。差し当りこの包みをどうにか処分しなくてはならない。どうか大地震でもあってくれればいいと思う。何もベルリンだって、地震が揺ってならないはずはない。それからこういう事も思った。動物園へ行・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・こう云った時にアインシュタインの顔が稲妻のようにちょっとひきつったので、何か皮肉が出るなと思っていると、果して「自然が脳味噌のない『性』を創造したという事も存外無いとは限らない」と云った。これは無論笑談であるが彼の真意は男女の特長の差異を認・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・さればこの時代に在って上野の風景を記述した詩文雑著のたぐいにして数寄屋町の妓院に説き及ばないものは殆無い。清親の風景板画に雪中の池を描いて之に妓を配合せしめたのも蓋偶然ではない。 上野の始て公園地となされたのは看雨隠士なる人の著した東京・・・ 永井荷風 「上野」
・・・そういう御相談が出れば私も無い事もないと御答をする。が西洋で百年かかってようやく今日に発展した開化を日本人が十年に年期をつづめて、しかも空虚の譏を免かれるように、誰が見ても内発的であると認めるような推移をやろうとすればこれまた由々しき結果に・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・が全く無い。それは詩の情操の中に含蓄された暗示であり、象徴であり、余韻である。したがつてニイチェの善き理解者は、学者や思想家の側にすくなくして、いつも却つて詩人や文学者の側に多いのである。 近代の文学者の中で、ニイチェほど大きく、且・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・低い天井と床板と、四方の壁とより外には何にも無いようなガランとした、湿っぽくて、黴臭い部屋であった。室の真中からたった一つの電燈が、落葉が蜘蛛の網にでもひっかかったようにボンヤリ下って、灯っていた。リノリュームが膏薬のように床板の上へ所々へ・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・そぼうな扮装の、髪はぼうぼうと脂気の無い、その癖、眉の美しい、悧発そうな眼付の、何処にも憎い処の無い人でした。それに生れて辛っと五月ばかしの赤子さんを、懐裏に確と抱締めて御居でなのでした。此様女の人は、多勢の中ですもの、幾人もあったでしょう・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・ところが真に受ける奴は一人も無い。馬鹿にして笑ってけつかる。それにいつでも生憎手近に巡査がいて、おれの頸を攫んで引っ立てて行きゃあがった。それから盲もやってみた。する事の無い職人の真似もしてみた。皆駄目だ。も一つ足なしになって尻でいざると云・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
出典:青空文庫