・・・金助は朝起きぬけから夜おそくまで背中をまるめてこつこつと浄瑠璃の文句を写しているだけが能の、古ぼけた障子のようにひっそりした無気力な男だった。女房はまるで縫物をするために生れてきたような女で、いつ見ても薄暗い奥の間にぺたりと坐りこんで針を運・・・ 織田作之助 「雨」
・・・古障子の破れ穴のように無気力だった京都は、新しく障子紙を貼り替えたのだ。かつての旦那だった大阪は、京都ではただで飛んでいる蛍をつかまえて、二匹五円で売っている。みじめというほかはない。 ところが、さすがに大阪だ。京都で一番賑かな四条通、・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・ところが、顧みて日本の文壇を考えると、今なお無気力なオルソドックスが最高権威を持っていて、老大家は旧式の定跡から一歩も出ず、新人もまたこそこそとこの定跡に追従しているのである。 定跡へのアンチテエゼは現在の日本の文壇では殆んど皆無にひと・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ すぐに道修町の薬種問屋へ雇われたが、無気力な奉公づとめに嫌気がさして、当時大阪で羽振りを利かしていた政商五代友厚の弘成館へ、書生に使うてくれと伝手を求めて頼みこんだ。 五代は丹造のきょときょとした、眼付きの野卑な顔を見て、途端に使・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
僕は終戦後間もなくケストネルの「ファビアン」という小説を読んだ。「ファビアン」は第一次大戦後の混乱と頽廃と無気力と不安の中に蠢いている独逸の一青年を横紙破りの新しいスタイルで描いたもので、戦後の日本の文学の一つの行き方を、・・・ 織田作之助 「土足のままの文学」
・・・目下のところ五十代はかわらず、四十代は迷い、三十代は無気力、二十代はブランク。四十代はやがて迷いの中から決然として来るだろうし、二十代はブランクの中から逞しい虚無よりの創造をやるだろうか、三十代はどうであろうか。三十代は自分の胸に窓をあける・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
今もそのアパートはあるだろうか、濡雑巾のようにごちゃごちゃした場末の一角に、それはまるで古綿を千切って捨てたも同然の薄汚れた姿を無気力に曝していた。そのあたりは埋立地のせいか年中じめじめした湿気が去らなかった。日の射さぬ中・・・ 織田作之助 「道」
・・・二人とも痩せて、顔色が悪く、乾いた古雑巾のように薄汚い無気力な顔をしている点が、似ているだけではない。顔立ちが似ているのだ。どちらも、びっくりしたように、眼が飛び出している。 兄弟かも知れない。 豹吉はふと腕時計を見た。十時十分前だ・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・頼って来いといった松本の言葉を、ふっと無気力に想い出した。凍えた両手に息を吹きかける拍子に、その気もなく松本の名刺を見た。ごおうッと音がして、電車が追いかけて来た。そして通り過ぎた。瞬間雪の上を光が走って、消えた。質屋はまだあいているだろう・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ ――無気力な彼の考え方としては、結局またこんな処へ落ちて来るということは寧ろ自然なことであらねばならなかった。(魔法使いの婆さんがあって、婆さんは方々からいろ/\な種類の悪魔を生捕って来ては、魔法で以て悪魔の通力を奪って了う。そして自・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫