・・・して見ればお恥しい気のするのも無理はございますまい。」 一座の空気は、内蔵助のこの語と共に、今までの陽気さをなくなして、急に真面目な調子を帯びた。この意味で、会話は、彼の意図通り、方向を転換したと云っても差支えない。が、転換した方向が、・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・その時私は妹が私を恨んでいるのだなと気がついて、それは無理のないことだと思うと、この上なく淋しい気持ちになりました。 それにしても友達のMは何所に行ってしまったのだろうと思って、私は若者のそばに立ちながらあたりを見廻すと、遥かな砂山の所・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・目がいらいらする。無理に早く起された人の常として、ひどい不幸を抱いているような感じがする。 食堂では珈琲を煮ている。トンミイ、フレンチ君が、糊の附いた襟が指に障るので顫えながら、嵌まりにくいシャツの扣鈕を嵌めていると、あっちの方から、鈍・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・そして、有妻の男子が他の女と通ずる事を罪悪とし、背倫の行為とし、唾棄すべき事として秋毫寛すなき従来の道徳を、無理であり、苛酷であり、自然に背くものと感じ、本来男女の関係は全く自由なものであるという原始的事実に論拠して、従来の道徳に何処までも・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・……あとで聞くと、月夜にこの小路へ入る、美しいお嬢さんの、湯帰りのあとをつけて、そして、何だよ、無理に、何、あの、何の真似だか知らないが、お嬢さんの舌をな。」 と、小母さんは白い顔して、ぺろりとその真紅な舌。 小僧は太い白蛇に、頭か・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・見てきた牛の形が種々に頭に映じてきてどうにもしかたがない。無理に酒を一口飲んだまま寝ることにした。 七日と思うてもとても七日はいられず三日で家に帰った。人の家のできごとが、ほとんどよそごとでないように心を刺激する。僕はよほど精神が疲れて・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・人がよい事があるとわきから腹を立てたりするのも世の中の人心で無理もない。自分の子でさえ親の心の通りならないで不幸者となり女の子が年頃になって人の家に行き其の夫に親しくして親里を忘れる。こんな風儀はどこの国に行っても変った事はない。 加賀・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・と、無理に手渡しした。「ほんとに、ほんとに、どんな悪魔がついたのだろう、人にこう心配ばかしさして」と、妻は僕の顔を睨む権利でもあるように、睨みつけている。 僕も、――今まで夢中になっていた女を実際通り悪く言うのは、不見識であるかのよ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・緑雨は竹馬の友の万年博士を初め若い文学士や学生などと頻りに交際していたが、江戸の通人を任ずる緑雨の眼からは田舎出の学士の何にも知らないのが馬鹿げて見えたのは無理もなかった。若い学士の方でも緑雨の社会通を相当に認めて、そういう方面の解らない事・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・渡された食物に手を付けなかったり、また無理に食わせられてはならぬと思って、人の見る前では呑み込んで、直ぐそれを吐き出したこともあったらしい。丁度相手の女学生が、頸の創から血を出して萎びて死んだように女房も絶食して、次第に体を萎びさせて死んだ・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
出典:青空文庫