・・・「いや、よくわかりました。無論十二指腸の潰瘍です。が、ただいま拝見した所じゃ、腹膜炎を起していますな。何しろこう下腹が押し上げられるように痛いと云うんですから――」「ははあ、下腹が押し上げられるように痛い?」 戸沢はセルの袴の上・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・なんだかこう、神聖なる刑罰其物のような、ある特殊の物、強大なる物、儼乎として動かざる物が、実際に我身の内に宿ってでもいるような心持がする。無論ある程度まで自分を英雄だと感じているのである。奥さんのような、かよわい女のためには、こんな態度の人・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・「無論だろうね。」「圧してみて下さい。開きません? ああ、そうね、あなたがなすって形の、その字の上を、まるいように、ひょいと結んで、と言いますとね。」 信也氏はその顔を瞻って、黙然として聞いたというのである。「――苦もなく開・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・刈り上げの祝いは何がよかろ、省作お前は無論餅だなア」 そういうのは兄だ。省作はにこり笑ったまま何とも言わぬうち、「餅よりは鮓にするさ。こないだ餅を一度やったもの、今度は鮓でなけりゃ。なア省作お前も鮓仲間になってよ」「わたしはどっ・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・「それが果して気違いであったなら、随分しッかりした気狂いじゃアないか?」「無論気狂いにも種類があるもんと見にゃならん。――僕はそれから夜通し何も知らなかったんや。再び気が付いて見たら、前夜川から突進した道筋をずッと右に離れたとこに独・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・狂歌師としては無論第三流以下であって、笑名の名は狂歌の専門研究家にさえ余り知られていないが、その名は『狂歌鐫』に残ってるそうだ。 喜兵衛は狂歌の才をも商売に利用するに抜目がなかった。毎年の浅草の年の市には暮の餅搗に使用する団扇を軽焼の景・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・それには無論強烈な色彩を以てしなければならないと思う。 丁度、絵画に於ける色彩派が使うような色で描き現わすのである。よしんば、その色は彼のモネーなぞの使った眼を奪うような赤とか、紫とか、青とかあらゆる光線に反射するようなぎらぎらした眼の・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・会葬者の中には無論金之助もいたし、お仙親子も手伝いに来ていたのである。 で、葬式の済むまでは、ただワイワイと傍のやかましいのに、お光は悲しさも心細さも半ば紛らされていたのであるが、寺から還って、舅の新五郎も一まず佃の家へ帰るし、親類親内・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・印刷は無論ただ同然で引き受けてやったし、記事もおれが昔取った杵柄で書いてやった。なお「蘆のめばえ咲分娘」と題して、船場娘の美人投票を募集するなど、変なことを考えついたのも、おれだった。これは随分当って、新聞は飛ぶように売れ、有料広告主もだん・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・彼には無論一円という香奠を贈る程の力は無かったが、それもKが出して置いて呉れたのであった。Yの父が死んだ時、友人同士が各自に一円ずつの香奠を送るというのも面倒だから、連名にして送ろうではないかという相談になってその時Kが「小田も入れといてや・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫