・・・不相変の無駄話ばかりでございます。もっとも先刻、近松が甚三郎の話を致した時には、伝右衛門殿なぞも、眼に涙をためて、聞いて居られましたが、そのほかは――いや、そう云えば、面白い話がございました。我々が吉良殿を討取って以来、江戸中に何かと仇討じ・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・お前たちが私の過去を眺めてみるような事があったら、私も無駄には生きなかったのを知って喜んでくれるだろう。 雨などが降りくらして悒鬱な気分が家の中に漲る日などに、どうかするとお前たちの一人が黙って私の書斎に這入って来る。そして一言パパとい・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・と、いうと、腰を上げざまに襖を一枚、直ぐに縁側へ辷って出ると、呼吸を凝して二人ばかり居た、恐いもの見たさの徒、ばたり、ソッと退く気勢。「や。」という番頭の声に連れて、足も裾も巴に入乱るるかのごとく、廊下を彼方へ、隔ってまた跫音、次第に跫・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・それぞれの用意も想像以外の水でことごとく無駄に帰したのである。 自分はこの全滅的荒廃の跡を見て何ら悔恨の念も無く不思議と平然たるものであった。自分の家という感じがなく自分の物という感じも無い。むしろ自然の暴力が、いかにもきびきびと残酷に・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・僕の宿っているのは芸者屋の隣りだとは通知してある上に、取り残して来た原稿料の一部を僕がたびたび取り寄せるので、何か無駄づかいをしていると感づいたらしい――もっとも、僕がそんなことをしたのはこのたびばかりではないから、旅行ごとに妻はその心配を・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ソンナものを写すのは馬鹿馬鹿しい、近日丸善から出版されるというと、そうか、イイ事を聞いた、無駄骨折をせずとも済んだといった。 その時、そんなものを写してドウすると訊くと、「何かの時には役に立つさ、」といった。「何でも書物は一生の中に一度・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
はしがき この小冊子は、明治二十七年七月相州箱根駅において開設せられしキリスト教徒第六夏期学校において述べし余の講話を、同校委員諸子の承諾を得てここに印刷に附せしものなり。 事、キリスト教と学生とにかんすること多し、しかれど・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ だが、書く場合に、私の良心は、もっと他の方面に対しても働くにちがいない。 徒らに、笑わせたり、面白がらせたりすることを目的とする者は、芸術への奉仕でなく、所謂、職業話術家のなすことであります。自分の書いたものが、どういう階級の子供・・・ 小川未明 「童話を書く時の心」
・・・地元曾根崎署の取締りを嘲笑するやうに、今日もまた検挙網のど真中で堂堂と煙草を売つてゐる一人の闇商人曰く―― 警察や専売局がいくら自由市場の煙草を取締つても無駄ですよ。専売局自身が倉庫から大量持ち出して、横流しをしてるんですからねえ」・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・それはお目に掛けたいほど熱心なる馬鈴薯党でしたがね、学校に居る時分から僕は北海道と聞くと、ぞくぞくするほど惚れていたもんで、清教徒を以て任じていたのだから堪らない!」「大変な清教徒だ!」と松木が又た口を入れたのを、上村は一寸と腮で止めて・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
出典:青空文庫