出典:青空文庫
・・・途中、郡山駅爆撃。午後九時半、小牛田駅着。また駅の改札口の前で一・・・ 太宰治「十五年間」
・・・ハワイ大爆撃。米国艦隊全滅す。帝国政府声明。全身が震えて恥ずかし・・・ 太宰治「十二月八日」
・・・ろそろれいの中小都市爆撃がはじまって、熱海伊東の温泉地帯もほどな・・・ 太宰治「雀」
出典:gooニュース
重慶爆撃の体験者 日中友好訴える
日中戦争で日本軍の爆撃を受けた中国・重慶の被害者や遺族が6日那覇市で講演し不戦の思いを訴えました。重慶爆撃は1938年から1944年にかけて、当時の中国・国民党政府の首都・重慶に対し日本軍が行った無差別爆撃で、犠牲者は1万人を越える言われています。6日の講演では、アメリカ人が撮影した1940年8月の重慶爆撃を記録した映画が上映されました。
爆撃でカメラを奪われたパレスチナ人映画監督の写真展
Amer Nasser幼児を膝に乗せ、倒壊したコンクリートに腰かける子。崩れた建物とがれきの山を見つめる青年。黒焦げになった車の近くで、車いすに座り身を寄せ合って眠る子どもたち。パレスチナ自治区ガザ地区の映画監督で写真家のアメル・ナーセルさんの写真展「GAZA. Signal of Life」が、日本外国特派員協会(東京・丸の内)で開催されている。
重慶爆撃被害者ら来沖「重慶も沖縄も戦争の被害者」副知事と面談
旧日本軍が日中戦争時に重慶で行った爆撃の被害者ら、中国からの平和訪問団が沖縄を訪れ、池田副知事と面談しました。 今回、沖縄を訪れたのは重慶爆撃の被害者の粟遠奎さん・91歳など、中国からの平和訪問団です。 粟さんは、旧日本軍が1940年ごろから行った、重慶への爆撃によって家屋を失ったほか、姉を亡くしたといいます。
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