・・・このデカダン興味は江戸の文化の爛熟が産んだので、江戸時代の買妓や蓄妾は必ずしも淫蕩でなくて、その中に極めて詩趣を掬すべき情味があった。今の道徳からいったら人情本の常套の団円たる妻妾の三曲合奏というような歓楽は顰蹙すべき沙汰の限りだが、江戸時・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・フランスのように人間の可能性を描く近代小説が爛熟期に達している国で、サルトルが極度に追究された人間の可能性を、一度原始状態にひき戻して、精神や観念のヴェールをかぶらぬ肉体を肉体として描くことを、人間の可能性を追究する新しい出発点としたことは・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・、やみまつり、などと私にはよく意味のわからぬようなことまでぶつぶつ呟いていたりする有様で、その日も、私が上野公園のれいの甘酒屋で、はらみ猫、葉桜、花吹雪、毛虫、そんな風物のかもし出す晩春のぬくぬくした爛熟の雰囲気をからだじゅうに感じながら、・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・野も、畑も、緑の色が、うれきったバナナのような酸い匂いさえ感ぜられ、いちめんに春が爛熟していて、きたならしく、青みどろ、どろどろ溶けて氾濫していた。いったいに、この季節には、べとべと、噎せるほどの体臭がある。 汽車の中の笠井さんは、へん・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・この店の給仕頭は多年文士に交際しているので、人物の鑑識が上手になって、まだ鬚の生えない高等学校の生徒を相して、「あなたはきっと晩年のギョオテのような爛熟した作をお出しになる」なんぞと云うのだが、この給仕頭の炬の如き眼光を以て見ても、チルナウ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・明治の女子教育と関係なき賤業婦の淫靡なる生活によって、爛熟した過去の文明の遠いきを聞こうとしているのである。この僅かなる慰安が珍々先生をして、洋服を着ないでもすむ半日を、唯うつうつとこの妾宅に送らせる理由である。已に「妾宅」というこの文字が・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・これは閲歴の爛熟したものの免れないところである。そこで時々想像力を強大にする策を講ぜなくてはならない。それには苟くも想像力にうぶな、原始的な性能を賦し、新しい活動の強みを与えるような偶然の機会があったら、それを善用しなくてはならないと云うの・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・忽ち新聞に、フランスは文化の爛熟と頽廃とが原因で敗れた、と説明する文章があらわれた。ローマが崩壊したのは有名な「何処へ行く」で私たちにも馴染なネロのような王が現れるほど暴虐と頽廃が支配したからだと西洋歴史で習ったから、今フランスは文化の頽廃・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・ こういうたちのツルゲーネフを器用なヴィアルドオ夫人が自身の芸術上の教養やパリの爛熟し、錯綜した社会の間で練られた世渡りの術やによって、こまごまと、嘘とまことを綯いまぜつつ賢く統帥して行ったであろう光景は、さながら一幅の絵となって髣髴と・・・ 宮本百合子 「ツルゲーネフの生きかた」
・・・ おくれて発達したロシアの資本主義は急速に爛熟し崩壊しはじめた。二十世紀のはじめのロシアのシンボリズムの婦人詩人ギッピウス、デカダンス文学の作者としての婦人作家が数人数えられた。なかでもウェルビツカヤが女で好色の文学をかくことで有名だっ・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
出典:青空文庫