・・・の立像を造られようとなされた時、私のひとみに使うほどりっぱな玉がどこにもなかったので、たいそう心をいためておいでなさると悪いへつらいずきな家来が、それはおやすい御用でございますと言ってあのわかい武士の父上をおとずれてよもやまの話のまぎれにそ・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・……おいでよ、父上。」 と手を引張ると、猶予いながら、とぼとぼと畳に空足を踏んで、板の間へ出た。 その跫音より、鼠の駈ける音が激しく、棕櫚の骨がばさりと覗いて、其処に、手絡の影もない。 織次はわっと泣出した。 父は立ちながら・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・「延子をなくしてから父上はすっかり老い込んでおしまいになった。おまえの身体も普通の身体ではないのだから大切にしてください。もうこの上の苦労はわたしたちもしたくない。 わたしはこの頃夜中なにかに驚いたように眼が醒める。頭はおまえのこと・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・上にはい上がりてだだをこねおり候、この分にては小生が小供の時きき候と同じ昔噺を貞坊が聞き候ことも遠かるまじと思われ候、これを思えば悲しいともうれしいとも申しようなき感これありこれ必ず悲喜両方と存じ候、父上は何を申すも七十歳いかに強壮にましま・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・そうするとある日、僕が学校から帰宅って見ると、今井の叔父さんが来ていて父上も奥の座敷で何か話をしてござった。その夜、おとっさんとおっかさんが大変まじめな顔をして兄さんと何かこそこそ相談をしたようであった。 そして僕は今井に養子にもらわれ・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・ お政は痛ましく助は可愛く、父上は恋しく、懐かしく、母と妹は悪くもあり、痛ましくもあり、子供の時など思い起しては恋しくもあり、突然寄附金の事を思いだしては心配で堪らず、運動場に敷く小砂利のことまで考えだし、頭はぐらぐらして気は遠くなり、・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・これを聞きて翁の目は急に笑みをたたえ、父上もさすがにこの度は許したまいしか、まずまずめでたし、いつごろ立ちたもうや。月末なるべしと青年は答え、さればこの地もまたいつ帰り来て見んことの定め難く、また再び見ることかなうまじきやこれまた計り難けれ・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・久しく見ざれば停車場より我が家までの間の景色さえ変りて、愴然たる感いと深く、父上母上の我が思いなしにやいたく老いたまいたる、祖母上のこの四五日前より中風とやらに罹りたまえりとて、身動きも得したまわず病蓐の上に苦しみいたまえるには、いよいよ心・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・貴族院議員、勲二等の御家柄、貴方がた文学者にとっては何も誇るべき筋みちのものに無之、古くさきものに相違なしと存じられ候が、お父上おなくなりのちの天地一人のお母上様を思い、私めに顔たてさせ然るべしと存じ候。『われひとりを悪者として勘当除籍、家・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・叔父上様。」 月日。「謹啓。文学の道あせる事無用と確信致し居る者に候。空を見、雑念せず。陽と遊び、短慮せず。健康第一と愚考致し候。ゆるゆる御精進おたのみ申し上候。昨日は又、創作、『ほっとした話』一篇、御恵送被下厚く御礼申上候。来・・・ 太宰治 「虚構の春」
出典:青空文庫