・・・だんだん親しくなり、そのうちに父上の危篤の知らせがあって、彼はその故郷からの電報を手に持って私の部屋へはいるなり、わあんと、叱られた子供のような甘えた泣き声を挙げた。私は、いろいろなぐさめて、すぐに出発させた。そんな事があってから、私たちは・・・ 太宰治 「リイズ」
・・・むかって何か意見を言いだすことがあったけれども、言葉のなかばでもうはや丸っきり自信を失い、そうかとも思われますが、しかしこれとても間違いだらけであるとしか思われませんし、きっと間違っていると思いますが父上はどうお考えでしょうか、なんだか間違・・・ 太宰治 「ロマネスク」
私が九つの秋であった、父上が役を御やめになって家族一同郷里の田舎へ引移る事になった。勿論その頃はまだ東海道鉄道は全通しておらず、どうしても横浜から神戸まで船に乗らねばならぬ。が、困った事には父上の外は揃いも揃うた船嫌いで海・・・ 寺田寅彦 「車」
別役の姉上が来て西の上り端で話していたら要太郎が台所の方から自分を呼んで裏へ鴫を取りに行かぬかと云う。自分はまだ一度も行った事がないが病後の事であるからと思うて座敷で書見をしている父上に行ってもよう御座いましょかと聞くと行・・・ 寺田寅彦 「鴫つき」
・・・ 昔の大名それの君、すれちがいし船の早さに驚いてあれは何船と問い給えば御附きの人々かしこまりて、あれはちがい船なればかく早くこそと御答え申せば、さらばそのちがい船を造れと仰せられし勿体なさと父上の話に皆々またどっと笑う間に船は新田堤にか・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・その間に父上は戸棚から三宝をいくつも取下ろして一々布巾で清めておられる。いや随分乱暴な鼠の糞じゃ。つつみ紙もところどころ食い破られた跡がある。ここに黄ばんだしみのあるのも鼠のいたずらじゃないかしらんなど独語を云いながら我も手伝うておおかた三・・・ 寺田寅彦 「祭」
・・・是れは自分の意なれども父上には語る可らず、何々は自分一人の独断なり母上には内証などの談は、毎度世間に聞く所なれども、斯くては事柄の善悪に拘わらず、既に骨肉の間に計略を運らすことにして、子女養育の道に非ざるなり。一 女子既に成長して家庭又・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・『文芸』十月号に島崎蓊助が「父上様」という感想を書いている。あの一文を若いジェネレーションは何と読んだであろうか。「夜明け前」が一つの記念碑的な作品であることに異議ない。七年間の労作に堪ゆる人間が、枯淡であろうとも思わないし、無・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・どうぞ 自分に僅かの金がたまりのどかに 父と旅行出来るように、どうぞ それまで 父上たっしゃで 元気で今の もうちゃまで いらしって下さい。 五月二十六日わが心は 深き 井戸くめど くめど 水はつき・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・叔父上[自注2]が、顔から脚から押して見てむくんでいないと仰云ったので、それでは本当かと、却ってびっくりしたほどです。それにしても体がしっかりしていらっしゃるのは何よりです。私とは勿論くらべものにはならないけれども、私は一月から六月中旬まで・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫