・・・ 彼の父母は元は由緒ある武士だったのが、北条氏のため房州に謫せられ、落魄して漁民となったのだといわれているが、彼自身は「片海の石中の賤民が子」とか、「片海の海人が子也」とかいっている。ともかく彼が生まれ、育ったころには父母は漁民として「・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
京一が醤油醸造場へ働きにやられたのは、十六の暮れだった。 節季の金を作るために、父母は毎朝暗いうちから山の樹を伐りに出かけていた。 醸造場では、従兄の仁助が杜氏だった。小さい弟の子守りをしながら留守居をしていた祖母・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・お浪もこの夙く父母を失った不幸の児が酷い叔母に窘められる談を前々から聞いて知っている上に、しかも今のような話を聞いたのでいささか涙ぐんで茫然として、何も無い地の上に眼を注いで身動もしないでいた。陽気な陽気な時節ではあるがちょっとの間はしーん・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・という水禽のみ、黒み行く浪の上に暮れ残りて白く見ゆるに、都鳥も忍ばしく、父母すみたもう方、ふりすてて来し方もさすがに思わざるにはあらず。海気は衣を撲って眠り美ならず、夢魂半夜誰が家をか遶りき。 二十七日正午、舟岩内を発し、午後五時寿都と・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・また過去の私が経歴と言っても、十一二歳のころからすでに父母の手を離れて、専門教育に入るまでの間、すべてみずから世波と闘わざるを得ない境遇にいて、それから学窓の三四年が思いきった貧書生、学窓を出てからが生活難と世路難という順序であるから、切に・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・ なほ考ふるに、舜はもと一田夫の子、いかに孝行の名高しと雖、堯が直に之を擧げて帝王の位を讓れりといへる、その孝悌をいはんがためには、その父母弟等の不仁をならべて對照せしめしが如きは、之をしも史實として採用し得べきや。又禹の治水にしても、・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・新しく、机上は整頓せられ、夫婦はいたわり、尊敬し合い、夫は妻を打った事など無いのは無論、出て行け、出て行きます、などの乱暴な口争いした事さえ一度も無かったし、父も母も負けずに子供を可愛がり、子供たちも父母に陽気によくなつく。 しかし、こ・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・田舎の老父母は、はじめからとみをあきらめ、東京のとみのところに来るように、いくら言ってやっても、田舎のわずかばかりの田畑に恋着して、どうしても東京に出て来ない。ひとり弟がいるのだが、こいつが、父母の反対を押し切って、六年まえに姉のとみのとこ・・・ 太宰治 「花燭」
・・・ちょん髷をつけたわれらの祖父母曾祖父母とはどうしても思われない。第二には群衆の使い方が拙である。おおぜいの登場者の配置に遠近のパースペクチーヴがなく、粗密のリズムがないから画面が単調で空疎である。たとえば大評定の場でもただくわいを並べた八百・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ われわれが存在の光栄を有する二十世紀の前半は、事によると、あらゆる時代のうちで人間がいちばん思い上がってわれわれの主人であり父母であるところの天然というものをばかにしているつもりで、ほんとうは最も多く天然にばかにされている時代かもしれ・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
出典:青空文庫