・・・と言う声が沈んで、泣いていたらしい片一方の目を、俯向けに、紅入友染の裏が浅葱の袖口で、ひったり圧えた。 中脊で、もの柔かな女の、房り結った島田が縺れて、おっとりした下ぶくれの頬にかかったのも、もの可哀で気の毒であった。が、用を言うと、「・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・おらあ片一方で聞いててせえ少癇癪に障って堪えられなかったよ。え、爺さん、聞きゃおめえの扮装が悪いとって咎めたようだっけが、それにしちゃあ咎めようが激しいや、ほかにおめえなんぞ仕損いでもしなすったのか、ええ、爺さん」 問われて老車夫は吐息・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・そして、お先きにと、湯殿の戸をあけた途端、化物のように背の高い女が脱衣場で着物を脱ぎながら、片一方の眼でじろりと私を見つめた。 私は無我夢中に着物を着た。そして気がつくと、女の眼はなおもじっと動かなかった。もう一方の眼はあらぬ方に向けら・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・それを大阪の伝統だとはっきり断言することは敢てしないけれど、例えば日本橋筋四丁目の五会という古物露天店の集団で足袋のコハゼの片一方だけを売っているのを見ると、何かしら大阪の哀れな故郷を感ずるのである。 東京にいた頃、私はしきりに法善・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・という訳でもなかったろうが、とにかく二日後に腎臓を片一方切り取ってしまうという大手術をやっても、ピンピン生きて、「水や、水や、水をくれ」とわめき散らした。水を飲ましてはいけぬと注意されていたので、蝶子は丹田に力を入れて柳吉のわめき声を聴いた・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 豹吉は二人の少年の方へ寄って行くと、「――お前磨け!」 小さい方へ靴を出した。 大きい方の少年はあぶれた顔であった。 片一方磨き終ると、豹吉は、「それでええ」「まだ片足すんどらへんがな」「かめへん」 と・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・それをば片一方の眼で視ているので、片一方のは何か堅い、木の枝に違いないがな、それに圧されて、そのまた枝に頭が上っていようと云うものだから、ひどく工合がわるい。身動を仕たくも、不思議なるかな、些とも出来んわい。其儘で暫く経つ。竈馬の啼く音、蜂・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・――緒を柱にかけて引っぱりよって片一方の端から手がはずれてころんだところを牛に踏まれたんじゃ。あんな緒を買うてやるんじゃなかったのに! 二銭やこし仕末をしたってなんちゃになりゃせん!」といまだに涙を流す。……・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
・・・普段着いちまい在るきりで、他には、足袋の片一方さえ無い仕末でした。よほど落ちぶれて、困窮しているものと見えます。もともと、お洒落な子だったのですし、洗いざらしの浴衣に、千切れた兵古帯ぐるぐる巻きにして恋人に逢うくらいだったら、死んだほうがい・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
出典:青空文庫