ある雨の降る日の午後であった。私はある絵画展覧会場の一室で、小さな油絵を一枚発見した。発見――と云うと大袈裟だが、実際そう云っても差支えないほど、この画だけは思い切って彩光の悪い片隅に、それも恐しく貧弱な縁へはいって、忘れ・・・ 芥川竜之介 「沼地」
・・・勿論友人たちは皆大喜びで、すぐにトランプを一組取り寄せると、部屋の片隅にある骨牌机を囲みながら、まだためらい勝ちな私を早く早くと急き立てるのです。 ですから私も仕方がなく、しばらくの間は友人たちを相手に、嫌々骨牌をしていました。が、どう・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・彼れは闇に慣れて来た眼で小屋の片隅をすかして見た。馬は前脚に重味がかからないように、腹に蓆をあてがって胸の所を梁からつるしてあった。両方の膝頭は白い切れで巻いてあった。その白い色が凡て黒い中にはっきりと仁右衛門の眼に映った。石炭酸の香はそこ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・櫓のような物干を見ると、ああ、いつの間にか、そこにも片隅に、小石が積んであるんです。何ですか、明神様の森の空が、雲で真暗なようでした。 鰻屋の神田川――今にもその頃にも、まるで知己はありませんが、あすこの前を向うへ抜けて、大通りを突切ろ・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ と、片隅に三つばかり。この方は笠を上にした茶褐色で、霜こしの黄なるに対して、女郎花の根にこぼれた、茨の枯葉のようなのを、――ここに二人たった渠等女たちに、フト思い較べながら指すと、「かっぱ。」 と語音の調子もある……口から吹飛・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・その先の松林の片隅に雑木の森があって数多の墓が見える。戸村家の墓地は冬青四五本を中心として六坪許りを区別けしてある。そのほどよい所の新墓が民子が永久の住家であった。葬りをしてから雨にも逢わないので、ほんの新らしいままで、力紙なども今結んだ様・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 内廊下を突抜け、外の縁側を右へ曲り、行止りから左へ三尺許りの渡板を渡って、庭の片隅な離れの座敷へくる。深夜では何も判らんけれど、昨年一昨年と二度ともここへ置かれたのだから、来て見ると何となくなつかしい。平生は戸も明けずに置くのか、空気・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ 見れば、もとは店さきでもあったらしい薄ぐらい八畳の間の右の片隅に僕の革鞄が置いてある。これに反対した方の壁ぎわは、少し低い板の間になっておやじの仕事場らしい。下駄の出来かけ、桐の用材などがうっちゃり放しになっている。八畳の奥は障子なし・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・そして襤褸夜具と木枕とが上り口の片隅に積重ねてあって、昼間見るととても体に触れられたものではない。私はきゅうに自分の着ている布団の穢さが気になって、努めて起きでた。 私もそこにしてあるとおり、自分の布団と木枕とを上り口の横に積重ねて、そ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ たとえば、この間、大阪も到頭こんな姿になり果てたのかと、いやらしい想いをしながら、夜の闇市場で道に迷っている時、ふと片隅の暗がりで、蛍を売っているのを見た。二匹で五円、闇市場の中では靴みがきに次ぐけちくさい商内だが、しかし、暗がりの中・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
出典:青空文庫