・・・名も知らぬ、可恐しい、故郷の峰谷の、蓬々しい名の無い菌も、皮づつみの餡ころ餅ぼたぼたと覆すがごとく、袂に襟に溢れさして、山野の珍味に厭かせたまえる殿様が、これにばかりは、露のようなよだれを垂し、「牛肉のひれや、人間の娘より、柔々として膏・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・それには牛肉で飯を喰うのが一番だ。肉が営養があるというわけではないので、食慾を刺戟するのは肉が一番だから、肉で喰うのが一番飯が余計喰える。」と大食と食後の早足運動を力説した。 鴎外の日本食論、日本家屋論は有名なものだ。イツだっけか忘れた・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・不味い下宿屋の飯を喰っていても牛肉屋の鍋を突つくような鄙しい所為は紳士の体面上すまじきもののような顔をしていた。が、壱岐殿坂時代となると飛白の羽織を着初して、牛肉屋の鍋でも下宿屋の飯よりは旨いなどと弱音を吹き初した。今は天麩羅屋か何かになっ・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・それから馬場を通り抜け、九段を下りて神保町をブラブラし、時刻は最う八時を過ぎて腹の虫がグウグウ鳴って来たが、なかなかそこらの牛肉屋へ入ろうといわない。とうとう明神下の神田川まで草臥れ足を引摺って来たのが九時過ぎで、二階へ通って例の通りに待た・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・見ると、なるほど、牛肉屋の前に白い毛に日の丸の斑のはいった、ペスそっくりの犬がいました。「ペスかしらん。」と、正ちゃんは、駆け出してゆきました。あとから、みんながつづきました。しかし、その犬は、ペスと兄弟のように似ていたけれど、やはり、・・・ 小川未明 「ペスをさがしに」
・・・へ牛肉の山椒焼や焼うどんや肝とセロリーのバタ焼などを食べに行くたびに、三度のうち一度ぐらいはぶぶ漬を食べて見ようかとふと思うのは、そのぶぶ漬の味がよいというのではなく、しるこ屋でぶぶ漬を売るということや、文楽芝居のようなお櫃に何となく大阪を・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・ 言いかえれば、赤井、白崎の二人は、浪花節、逆立ちを或いは上手に或いは下手に隊長の前でやって見せると共に、外出時間を貰って、鶏、牛肉、魚などの徴発をして来なければ、一人前の兵隊とは言えない、というわけである。 その日、隊長は鶏のスキ・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・ 千日前「いろは牛肉店」の隣にある剃刀屋の通い店員で、朝十時から夜十一時までの勤務、弁当自弁の月給二十五円だが、それでも文句なかったらと友達が紹介してくれたのだ。柳吉はいやとは言えなかった。安全剃刀、レザー、ナイフ、ジャッキその他理髪に・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・諸君は牛肉と馬鈴薯とどっちが可い?」「牛肉が可いねエ!」と松木は又た眠むそうな声で真面目に言った。「然しビフテキに馬鈴薯は附属物だよ」と頬髭の紳士が得意らしく言った。「そうですとも! 理想は則ち実際の附属物なんだ! 馬鈴薯も全き・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・往来の両側には名物うんどん、牛肉、馬肉の旗、それから善光寺詣の講中のビラなどが若葉の頃の風に嬲られていた。ふと、その汽車の時間表と、ビイルや酒の広告と、食物をつくる煙などのゴチャゴチャした中に、高瀬は学士の笑顔を見つけた。 学士は「ウン・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
出典:青空文庫