・・・乗客は割るるがごとくに響動きぬ。 観音丸は直江津に安着せるなり。乗客は狂喜の声を揚げて、甲板の上に躍れり。拍手は夥しく、観音丸万歳! 船長万歳! 乗合万歳! 八人の船子を備えたる艀は直ちに漕寄せたり。乗客は前後を争いて飛移れり。学生・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・おりから町の子供相手の紙芝居に出かける支度中の長藤君は古谷氏の話を聞いて狂喜しさっそくこの旨を既報“人生紙芝居”のワキ役、済生会大阪府支部主事田所勝弥氏、東成禁酒会宣伝隊長谷口直太郎氏に報告、一同打ち揃って前記古谷氏宅に秋山君を訪れ、ここに・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・汝今日の狂喜は他日汝の裏に熟して荘重深沈なる歓と化し汝の心はまさにしき千象の宮、静かなる万籟の殿たるべし。 ああ果たしてしからんか、あるいは孤独、あるいは畏懼、あるいは苦痛、あるいは悲哀にして汝を悩まさん時、汝はまさにわがこの言を憶うべ・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・赤き炎は彼らの狂喜なり。走りてこれを躍り越えんことは互いの誇りなり。されば彼らこのたびは砂山のかなたより、枯草の類いを集めきたりぬ。年上の子、先に立ちてこれらに火をうつせば、童らは丸く火を取りまきて立ち、竹の節の破るる音を今か今かと待てり。・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・婚礼の祝宴の夜、アグリパイナは、その新郎の荒飲の果の思いつきに依り、新郎手飼の数匹の老猿をけしかけられ、饗筵につらなれる好色の酔客たちを狂喜させた。新郎の名は、ブラゼンバート。もともと、戦慄に依ってのみ生命の在りどころを知るたちの男であった・・・ 太宰治 「古典風」
・・・ と内心ひそかに狂喜したのである。たべたかった。しかし、私はかなりの見栄坊であった。紋附を着た美しい芸者三人に取りまかれて、ばりばりと寒雀を骨ごと噛みくだいて見せる勇気は無かった。ああ、あの頭の中の味噌はどんなにかおいしいだろう。思えば、寒・・・ 太宰治 「チャンス」
・・・子、実は、れいの高い高いの立葵の精は、この満場の拍手、叫喚の怒濤を、目に見、耳に聞き、この奇現象、すべて彼が道化役者そのままの、おかしの風貌ゆえとも気づかず、ぶくぶくの鼻うごめかして、いまは、まさしく狂喜、眼のいろ、いよいよ奇怪に燃え立ちて・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・富籤が当って、一家狂喜している様を、あるじ、あさましがり、何ほどのこともないさ、たかが千両、どれ銭湯へでも行って、のんびりして来ようか、と言い澄まして、銭湯の、湯槽にひたって、ふと気がつくと、足袋をはいていた。まさしく、私もその類であった。・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・彼は私にひとしきり、狂喜し感激して見せた揚句、眉間に皺を寄せて、どうしたらいいだろう? という相談を小声で持ちかけたではないか。私は最早、そのようなひまな遊戯には同情が持てなかったので、君も悧巧になったね、君がテツさんに昔程の愛を感じられな・・・ 太宰治 「列車」
・・・王子は、狂喜しました。「私を思い出しておくれ!」 ラプンツェルの頬は一瞬さっと蒼白くなり、それからほのぼの赤くなりました。けれども、幼い頃の強い気象がまだ少し残っていたので、「ラプンツェル? その子は、四年前に死んじゃった!」と出来・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
出典:青空文庫