かのうえいとく【狩野永徳】
[1543〜1590]安土桃山時代の画家。名は州信 (くにのぶ) 。松栄(直信)の子。祖父元信の期待を一身に受け、早くから画才を発揮。織田・豊臣氏に仕え、安土城・大坂城・聚楽第 (じゅらくだい) などの障壁画に筆をふるった。豪壮華麗な桃山障壁画様式を確立し、また狩野派全盛の基礎をつくった。
かのうこうきち【狩野亨吉】
[1865〜1942]哲学者・思想家。秋田の生まれ。一高校長。京都大学初代文科大学長。日本の自然科学思想史の開拓者で、安藤昌益らを発掘。
かのうさんせつ【狩野山雪】
[1590〜1651]江戸前期の画家。肥前の人。名は光家。通称、平四郎。狩野山楽の門弟で、のち養子となる。理知的な構成の装飾画に独自の造形性を示した。
出典:gooニュース
沼津「我入道の渡し船」運航開始 狩野川に春を告げる
観光渡船「我入道の渡し船」が3月20日、今年の運行を始めた。(沼津経済新聞) 櫓を漕ぐ植松さん(関連画像3枚) 明治時代から始まった我入道の渡し船。主に生活用の渡し船として活躍していたが、1968(昭和43)年に港大橋の完成によって
狩野英孝 トレードマークの白スーツ「いつか脱がないと」 きっかけとなった“イジリ”「陣内さんに…」
お笑い芸人の狩野英孝(43)が20日放送のテレビ朝日「アメトーーク!」(木曜後11・15)に出演。衣装に関するエピソードを披露した。 初期は白スーツがトレードマークだった狩野。番組出演時、ゆってぃと小島よしおと並んでいると、「陣内さんに“何やこいつら。パーティーグッズやん”って言われて」とイジられたことが。 「それでちょっとだけ傷ついて。
沼津「我入道の渡し船」運航開始 狩野川の景色、ゆったり満喫
木造和船で沼津市の狩野川河口部を行き来する「我入道の渡し船」が20日、今年の運航を始めた。同市我入道から市中心部のあゆみ橋までの約2・5キロを片道約15分かけてゆったりと進み、乗客は船から狩野川周辺の景色を楽しんだ。 同日は同市我入道東町の乗り場で祝賀式典が開かれ、地元の小学生から船頭に花束が渡された。船頭の川口正典さんは「事故のないように安全に楽しんでもらいたい」と意気込んだ。
もっと調べる
出典:青空文庫
・・・軸は狩野派が描いたらしい、伏羲文王周公孔子の四大聖人の画像だった・・・ 芥川竜之介「奇怪な再会」
・・・僕の叔母は狩野勝玉という芳崖の乙弟子に縁づいていた。僕の叔父もま・・・ 芥川竜之介「追憶」
・・・屏風の絵が、極彩色の狩野の何某在銘で、玄宗皇帝が同じ榻子に、楊貴・・・ 泉鏡花「みさごの鮨」